依頼は小守《プロローグ》

「むかーしむかし……って言うほど昔でもねーけど、この世界には悪い魔王がいました。魔王は野生の魔物を凶暴化させ……おいお前ら、凶暴化って意味わかるか? えーとアレだ、もっと強くするってことだ。んで、そいつらが人々を片っ端から襲いました。世界中のみんなが困ってしまったので、ある国の王様が国一番の剣士に魔王を倒してほしいとお願いしました。その剣士はいろんな所を旅して仲間を集め、力を合わせて魔王を倒しました。そのあと剣士は勇気ある者、略して『勇者』と呼ばれるようになり、母国のお姫様と結婚して新しく国を作ったのでした。ハイ、めでたしめでたし」
「その話なら誰でも知ってるよー」
「じょーしきでしょ? 歴史の本じゃなくて絵本を読んで!」
「んなこと言われてもなあ。僕の家には魔導書と歴史書と小説ぐらいしかねーぞ」

 ある晴れた日の昼下がり。まだあどけなさの残る顔立ちをした青年が、その風貌に似つかず存外乱暴な口調でこう言った。相対している二人の子供に読み聞かせていたのだろうか、全く絵本には見えない分厚い本をその手に持ち、ぱらぱらとめくっている。

「うーん、子供が知らなそうでいてかつ道徳的に良さそうな本なんて他にあるかな」
「ボク、歴史じゃなくてお兄さんの魔法が見てみたいな」
「わたしもわたしも! 魔導書があるってことは、お兄さんは魔法使いなんでしょ?」

 子供たちは目を輝かせながら身を乗り出す。青年は少したじろぎこそしたが自分の職業に興味を持ってもらえるのは嬉しいようで、顔をほころばせながらそれに応えた。

「そうかそうか! 何の魔法がいい? 土? 雷? どっちにしても家の中じゃ危ないから外でやろうぜ」
「はーい!」
 子供たちはひょこんとソファから降り、とことこと外へ向かった。青年も後ろからそれに続く。
「子供受けのする魔法っていやあ、やっぱ水魔法かな……いや、ここはインパクト重視で雷にするか……?」

 ぶつぶつと独り言を言いながら思考を巡らせる青年だったが、悲しいかな、次に発せられる一言で完全に腰を折られるのである。

「コライオくーん、ユタちゃーん、クッキーが焼けたから一緒に食べよーう!」
「たべるー!!」

 玄関までの道のりを回れ右してダッシュしていく子供たち。彼らが起こした風をひとりむなしく受けながら、青年はキッチンの方向を恨みがましく見つめるのであった。

◆◇◆

「お前、もうちょっとタイミングがあっただろ。焼きあがるのがあと二十分早ければ僕が歴史書で酷評されなくて済んだかもしれねーのに」

 なおも恨み言を言いつつ青年はハニークッキーをつまんでいる。

「まあまあ、そう拗ねないでよ。魔法はいつでも見せれるでしょ? クッキーに限らずお菓子は焼きたてが一番だからね」

 そう答えたのは学生ふうの少年だ。チョコクッキーがこんもりと載った皿を子供たちへ出しつつ、自らもクッキーをひとつ口へ運んだ。

「そういえばお兄さんたち、お名前はなんていうの? 二人ともママの生徒さん?」

 コライオと呼ばれていた男の子が聞く。それを受けてすかさず少年が答えた。

「俺はイオニア。ローズ先生……ああ、君達のママには騎士学校でお世話になってるよ。こっちの不愛想なお兄さんがカル兄。ほんとの仕事は魔法の研究者なんだけど、趣味で『ローシャ探偵所』っていう何でも屋みたいなことをしててね。今は放課後に君達を預かるっていう依頼を受けてお仕事中なんだ」

 イオニアは青年よりもとっつきやすそうな柔らかい雰囲気を醸し出した少年だ。常にニコニコと笑みをたたえており、いかにも人好きのする見た目である。

「僕の名前はカルメ。カル兄っていうのはイオニアが僕の従兄弟だから勝手にそう呼んでるだけだ。別に真似しなくていいからな」

 対して青年、カルメは飾り気もなくそう言い放つ。黙っていれば一見人畜無害そうな印象を受けるが、その言葉遣いや佇まいはスタンダードな魔法使いの大人しいイメージとは程遠い。
 常人ならば初対面のときはそのギャップに萎縮してしまうかもしれないが、今日の相手は天真爛漫な子供たちである。彼らはカルメにも一切遠慮せずストレートに言葉をぶつけていった。

「カル兄ー!」
「カル兄、クッキー食べたら魔法見せて!」
「お前ら人の話聞いてた?」

 子供のお守りは疲れるな、と小さく愚痴をこぼしながらカルメはメイプルクッキーを口へ放り込む。イオニアと子供たちの談笑を聞き流しながら、彼はこの後見せる魔法についての思案を巡らせ始めた。

◆◇◆

「で、外に出たわけだが。お前らはどんな魔法を見てみたい?」

 おやつタイムを終わらせた彼らがやってきたのは、探偵所の庭。町はずれの林の中にぽつんと佇むこの探偵所には隣人やご近所という概念が存在しないため、広大な自然を余すことなく活用できるのだ。魔法の撃ちあいや実験などにはもってこいの場所である。カルメは木々の少ない原っぱの辺りへ陣取り、少し離れた位置にいる子供たちへと声をかけた。

「ボクは水魔法がみたい!」
「よしきた。いくぞー」

 カルメは軽く手を振り呪文を唱える。

『アクア』

 ぽよん。ぽよん。一瞬のうちに現れたのは、ふよふよと宙に浮かぶ水球だ。そっと近づいてきたコライオがそれらを恐る恐る触ると、ゴムボールのような弾力でばいん、と空中を進んでいく。

「すごいすごい、水のボールだ!」
「コライオー、そっちにボールいったよーっ!」

 子供たちは複数の水球を打ち合って遊び始める。単純な遊びながら、子供心をくすぐるのには十分だ。コライオとユタ、二人の子供はあっという間に水球の虜となり、草原を駆け回っていった。

「ふー。もうしばらくは遊ばせておいて大丈夫だな」

 そう言ってカルメは少し離れた位置にあるガーデンチェアへ腰を下ろす。イオニアも隣の椅子に座り、子供たちを見つめていた。

「そっか、カル兄はもう年寄りだから子供の相手は疲れるんだね」
「誰が年寄りだ。僕はお前と二つしか違わねーぞ」

 慣れた様子で軽口をいなすカルメ。彼はガーデンテーブルへ頬杖をつき、先程コライオ達に読み聞かせていた歴史書のページを開いた。そこには約100年ほど前の出来事が無機質に記されている。カルメは何と無しに目についた文章を読み始めた。

「『万国歴1771年、ケンドル公であった剣士メーラレン・リド・ケンドルにより魔王が討伐される。彼はこの功績によりティール帝国第二皇女と婚姻した。加えてそれまでティール帝国を宗主国としていたケンドル公国はケンドル王国へと昇格し、いち主権国家として独立。メーラレンは初代ケンドル国王として魔王戦争で荒廃していた国土の回復に努めた。しかしその後——』」
「旧ケンドル公国の封臣のひとりであったカルロ・リド・ロトルア辺境伯が領民を従えて蜂起。ケンドル王国からの離脱を求めて戦争を起こした。これがケンドル=ロトルア戦争である」

 イオニアは伸びをしながらカルメの後を引き取った。歴史書の記述と一言一句違わぬ言葉にカルメは目を丸くする。

「お前、そんなに歴史学好きだったっけ?」

 イオニアは驚くカルメをよそに、あくびをしながら答えた。

「丁度昨日その単元を習ったばっかだったんだ。その歴史書ってローズ先生の指定教科書なんだよね」
「なるほど、あいつらの母親って歴史学の先生なのか。そりゃ歴史の話は目新しくも何ともないよなぁ」

 そう言いつつカルメは遠くにいるコライオたちのほうを見る。子供たちは先程の歴史書朗読のときとは打って変わって、無邪気に笑いながら遊びまわっていた。カルメが作った三つの水球はぽよぽよと空中を漂い、子供たちの手によって絶え間なく軌道を変えさせられている。

◆◇◆

 しばらく経ったのち、いきなり一つの水球が空中でばしゃりと離散した。幸いコライオとユタとは離れた場所での出来事だったので、子供たちはそもそもこの事に気づいていない。しかしそれはつまり、この離散が彼らの手によるものではないことを意味する。

「イオニア!」
「うん!」

 カルメはイオニアへ短く呼びかける。イオニアはカルメの呼びかけとほぼ同時に、腰に刺している剣へと手をかけながら子供たちの方へ走り出した。一方カルメはというと、その場からほぼ動かずに手のひらを地面の方へ向けてただじっとしている。

 走り出したイオニアの視線の先にいるのは子供たち……ではない。その背後で大きな目をぎらつかせ、虎視眈々と子供達へ狙いを定めている大きな鹿の魔物である。だが普通の動物と違い、大きな二本の角にはびりびりと音を立てて電流が流れていた。恐らく、先程はこの電気を飛ばして水球を割ったのだろう。
 イオニアは走りながらひゅう、と指笛を鳴らす。注意を惹かれた鹿はイオニアに気がつくと、標的を変えたとばかりに彼へ向かって一直線に突進してきた。

「雷魔法を使う魔物か。静かに暮らすならいいけど、俺たちを襲おうっていうなら容赦しないからね!」

 イオニアは右手に長剣を、左手に短剣を持ち迎撃の体勢をとる。猪突猛進に迫ってくる相手の急所を的確に見据え、力を抜いてさらりと剣を振った。そして後に残されたのはぐったりと倒れた魔物と無傷の少年。

「やった! 実技訓練の成果が出たぞー!」

 相手の完全な沈黙を確認したのち、イオニアは両手を握りしめて意気揚々とガッツポーズ。と同時に、彼の耳へ轟音が届く。音の出所は、周りには目もくれず無我夢中で遊んでいた子供たちのすぐそばである。地面がぼこぼこと沸騰するようにうごめき、溢れ出た土が不恰好な人型へと形を変えた。土魔法の産物、ゴーレムだ。

「おまえら! ちゃんとソイツに捕まっとけよ!」

 遠くからカルメが叫ぶ。ゴーレムは壊れ物を扱うように優しく子供たちを抱きかかえると、極力揺れが出ないようにゆっくりと、しかし急いでカルメの元へ歩いてきた。
 やがて彼の元へたどり着いたゴーレムは、子供たちを慎重に地面へと下ろして自らも土へ還った。

「カルメお兄ちゃん、今のも魔法? おっきな巨人を作れるの!?」
「すっごく楽しかったー! 地面があんなに遠くなったの初めて!」
「ま、まあな。僕自慢のゴーレム錬成魔法だ」

 いまいち状況がわかっていない子供たちはカルメの魔法に大興奮。まあいらぬ不安を与える必要もないか、とカルメは魔物のことは伝えず、ただその場を濁すのであった。
 丁度そのとき、オレンジ色の日が差し始めた道の先からがたん、がたんと規則的な音が流れてくる。

「おっ、どうやら迎えが来たみたいだぜ」

 カルメが道のほうへ顔を向けると、だんだん大きくなってくる馬車が見えた。

◆◇◆

「ばいばーい!」
「二人とも、急にお願いしちゃって悪かったわね。でも助かったわ。ありがとう」

 穏やかな目元を細めた女性がカルメたちへ礼を述べた。

「いえいえ。今後とも探偵所をよろしくお願いします」
「どうせカル兄はいつでも暇してるんで、じゃんじゃん頼っちゃってくださいね。……いてっ」

 冗談めかしてイオニアが言う。カルメは営業スマイルを崩さずに、こっそり隣の学生靴を軽く踏んだ。そんな密かな攻防などつゆほども知らぬ子供たちは、カルメへ純真な瞳を向ける。

「また魔法見せてね!」
「おう、いつでも来いよ」

 カルメがコライオとユタの頭をぽん、と撫でると子供たちはくすぐったそうに、しかし嬉しそうに破顔した。言葉こそぶっきらぼうだがカルメの仕草はいたって優しいものだ。魔物の乱入というハプニングこそあったものの、二週間ぶりの依頼は無事に完了である。

◆◇◆

「ふー、疲れたあ」

 カルメと共に依頼人への対応を済ませ、リビングに戻ったイオニアはそのままソファにぼふん、とダイブ。肌触りの良い布にゆっくりと沈みこんでいった。

「イオニア、お前は寮生だろ。なんで我が物顔でくつろいでるんだ」

 完全にだらけモードに入っているイオニアはカルメのほうに頭だけ向けて答える。

「なに言ってんのさ。明日から連休だから、いつも通り泊まり込みでバイトしに来てるんだよ」
「ああ、もう週末なのか……。どうも研究職ってのは曜日感覚が狂っていけねーな」
「ま、今週もどうせヒマだろうし、また俺の課題手伝ってね!」
「断る。明日こそは……明日こそは必ず依頼を受けて充実した週末探偵ライフを送るんだ……!」
「それ先週も全く同じこと言ってたよね。今日で聞き納めできればいいんだけど」

 この探偵所から閑古鳥が飛び立つのは、もう少しだけ先の話。

〈了〉