10.その頃、教会では(二日目・下)

 たんたんたん、と、誰かが階段を昇ってくる音がレーニアの耳に届いた。彼女はディルフィスから買い出しの代わりに客人のもてなしの準備を頼まれており、今は室内のしつらえを整えていたところであった。
 レーニアは談話室のしつらえをする手を止め、二階の廊下へ出ていった。恐らくカミーユが帰ってきたのだろう。
 彼女の予想通り、ピンク色の頭がにゅっと階段を上がってくるのが見えた。
「おかえりなさい、カミーユ。買い出しご苦労様ですわ」
「はい、ただいま帰りました。レーニアさま、ディルフィスさまを知りませんか?」
「ディルフィスさまですか? 先程台所に行かれていましたが、今はもう礼拝堂に戻って教務をなさっている筈ですが……どうかしたのですか?」
「いえ、それなら良いのです。あっ、あのう。ディルフィスさまの弟さんにお出しするアップルパイ、私が作ってもよろしいですか? ディルフィスさまには先程了承をもらいました」
「勿論構わないと思いますが……どうしたのです、今日はやけに張り切っていますね」
「ええっと……そっ、そういう日もあるのです!」
 そう言い残してぱたぱたと台所へ駆けてゆくカミーユ。まあ、この年頃の少女は誰にも言えない秘密の一つや二つを持ちたくなるものだ、と自らの幼少期を思い出しながら感慨に耽り、彼女はまた談話室へと戻っていく。壁掛け時計の針は午後三時半を指していた。

 一方その頃。礼拝堂へ戻ってきたディルフィスは次の訪問者へ備えるため自分の持ち場に戻ろうとしたが、ふと時計を見て考えを改める。午後四時頃には愛する弟妹が教会へ到着するはずだ。約束の時間まであと十分を切っていた。
 彼は急いで教会を閉め、訪問者をもてなす準備に入る。程なくして、教会の扉を叩く重厚な音とドロシアのハスキーな声が聞こえてきた。
「こんにちは。ディルフィスおに……牧師さん」
「やあドロシア。ようこそ、レストール教会へ」
 教会の扉を開けたディルフィスは、ドロシアとエヴィアを迎え入れた。エヴィアはまだこの町に土地勘が無いため、警官でもある妹ドロシアに道案内を頼んだらしい。
「……ふふふ、『お兄ちゃん』って呼んでくれないのかい?」
「わっ、私は公私をきちんと分けるタイプなので。お邪魔します」
 一瞬見せた妹の隙を見逃さずに揶揄うディルフィス。なんだかんだで兄弟仲は良好なのである。
「お邪魔するよ。……へえ、結構大きな教会なんだね」
「こうして会うのは久しぶりだなエヴィア。元気にしてたか?」
「ふふふ、判るだろう? 久しぶり、兄さん」
 白い手袋をはめた手をひらひらと振り、錬金術師は返事をした。
「長旅お疲れ様、エヴィア。ドロシアもエヴィアを送ってきてくれてありがとう。二人とも、二階の談話室で一旦のんびり休憩してくれ」
 きい、と談話室の扉を開ける。そこでは既にレーニアがおり、紅茶を淹れてもてなしの準備をしていた。
 ドロシア共々勧められた席に座り、ディルフィス、レーニアも交えてしばしの団欒。
 彼らが粗方紅茶のカップを空にし始めた頃、カミーユが紅茶のポットと人数分の菓子を載せた盆を持って現れた。彼女はどこか緊張した面持ちで、客人達の前にアップルパイの載った皿を出す。
「どうぞ……」
「ありがとう。……おや、君はさっき広場で会った林檎の女の子だね。カミーユ、だったっけ?」
「はっ、はい!」
 名前を覚えてもらっていたことが嬉しかったカミーユは、思わず声を裏返して返事をした。ふふふ、と微笑んだエヴィアは目の前に置かれた大好物のスイーツを見て否応なしに反応する。
「アップルパイか。僕はこれが大好きなんだ。君が作ったのかい?」
「はい、そうですっ」
「そっか。それは楽しみだ」
 エヴィアは初々しい少女に顔を綻ばせながらアップルパイを口に運んだ。すぐ隣で冷めた目をしたドロシアに見つめられていることに、彼はまだ気付いていない。
「……うん、美味しい! 君はきっと料理上手な素敵な女性になるよ」
「ありがとうございます……!」
 わたわたとしながらもなんとか礼を言うカミーユ。エヴィアはその様子を見て目を細めたのち、本題へと駒を進ませた。
「ところで、今日僕がここに呼ばれたのは女神像を修繕する為だったよね? 肝心の女神像はどこにあるのかな」
「ああ、それなら礼拝堂の奥にいるはずだ。レーニア、ちょっと取ってきてくれるかい?」
「はい、分かりましたわ」
 ディルフィスに言われ、レーニアは談話室を後にする。しかし数分ののち帰ってきたのは、女神像ではなくどたどたと階段を駆け上がってくるレーニアの慌てた声のみであった。
「大変です! 大変ですわ! 女神像が——」
 その声で只事ではないと理解したディルフィス達は、みな一斉に礼拝堂へと駆けつけた。そこには朝まであったはずの女神像はなく、ただ像を載せていた敷き布が物悲しく横たわっているのみである。
「そっ、んな……っ?!」
 ドロシアもこれには面食らったようで、言葉が出ないまま混乱していた。
 盗まれたのかな? とディルフィスは冷静に考えてみたが、エヴィア達が教会に入った直後に教会の玄関の鍵をかけたのは、他ならぬ自分自身だ。ディルフィスは殆どずっと礼拝堂から動かなかったのだから、正面切っての物盗りをみすみす見逃す失態を犯すことはない。つまり。
「誰かが女神像を教会のどこかへ隠したんじゃないか?」
「どうしてそんな真似を?」
 レーニアが震える声で訊ねた。
「一旦目当てのものを違う場所に隠しておいて、しばらく寝かせておく。そして時間が経って警戒が薄くなったところを一気に持っていく、という寸法さ。この前小説で読んだんだ」
 情報源がフィクションである、という弱点こそあれど一応は筋が通っている説明のはず。そう思って出されたディルフィスの発言は、混乱している一同には反論を挟む間もなく受け入れられた。
「なら、女神像はまだこの教会のどこかにあるってことよね?!」
 とドロシアが叫ぶ。それに呼応するようにして、
「なら僕はここ——談話室を探すよ!」とエヴィア。
「ではわたくしは台所を!」とレーニア。
「じゃあ、私は倉庫と私室を探します!」とカミーユ。
「私は礼拝堂を探すわ!」とドロシア。
 そしてディルフィスは「ならば俺は客室と私室!」と叫び、彼らは興奮したまま蜘蛛の子を散らしたように教会内へ駆けてゆくのだった。
 その結果がどうなったかというと——次の日カルメのところにレーニア達が依頼しに来たという事実よりお察しの通りである。