13.ボタンの掛け違い

 談話室に残った探偵所一行は、一段とだらけながら話を続ける。依然として考え込んでいたカルメを放っておいて、やがておしゃべり好きなカペラと打てば響くイオニアのコンボにより話題は段々と本筋からずれていった。
「カルメって変なとこで妙に熱くなるわよね。きっかけが読めないから不気味だわ」
「いやいや、カル兄はけっこう分かり易いよ。例えば掘り出し物の魔導書を見つけた時とか、新しい魔術理論の可能性が見えたときとか——」
「門外漢には全部古本とトンデモ理論にしか見えないわよ」
「あはは、確かに。俺もカペラさんの馬はみんなおんなじ顔に見えるもん」
「あたしみたいにちっちゃい頃から馬と暮らしてたらね、あの子達の微妙な表情とか、顔つきの違いとかが何となく分かってくるもんなのよ。ま、門外漢には難しいかもねえ」
 と、カペラは得意げに語る。彼女の実家はローレスタ共和国の田舎町にある牧場なので、馬や牛などの家畜には人一倍詳しいのだ。
「……ん、そうそう。門外漢といえば武器軟膏は完全にあたしの管轄外よ。イオニアくんはよくあの治療を受けたわね、怖かったんじゃない?」
「いやあ、別に大丈夫だったよ。まさかあそこまで痛いとは思わなかったけど」
 イオニアも武器軟膏についてはその存在を知るに留まっていたため、ああして実際に治療を受けたのはこれが初めてだった。
 確かにイオニアの心に不安が全く無かったと言えば嘘になるが、やはりそこは錬金術師の間で語り継がれる薬というべきか。治療の際に生じる強烈な痛みにさえ目を瞑ることが出来れば優秀な薬であった。尤も、目を瞑って耐えても痛いモンは痛いが。
「そっか、勇気あるわねえ。あたしだったら怪しい薬の被検体になんて絶対なりたくないけど」
「怪しいって……武器軟膏だよ? 昔からある由緒正しい薬じゃんか」
「へ? イオニアくん知ってたの?」
「え? カペラさん知らなかったの?」
「…………」
 カルメがメイプルスコーンをほおばる音だけが虚しく部屋を満たす。彼がむいむいとスコーンを咀嚼している間、しばし固まるカペラとイオニア。沈黙ののち、『うっそお!?』という叫びのユニゾンが響き渡った。
「イオニアくん知ってたの!? てか信じてたの!? あのめちゃくちゃ怪しい粉薬を!?」
「カペラさん知らなかったの!? というか信じてなかったの!? あのすっごく有名なお薬を!?」
 両者が興奮する中、スコーンをごくんと紅茶で流し込んだカルメが満を持して口を開いた。
「言っとくが、この町では『武器軟膏』はよっぽど錬金術に興味がある奴じゃねえと存在すら知らないことが多いぞ。僕もレストールの町……というかこのローレスタ共和国に越してきてカルチャーショックだった」
「うえー、そうなんだ……」
「馬車引きが普段錬金術の話なんてするわけないもの、知るわけないわ」
 かくして散々引っ張られ続けてきたのであろうボタンの掛け違いが解消され、イオニア達はそれぞれぼやいたのであった。

「イオニア達の故郷、マーレディア王国では錬金術はそこそこ身近な存在だ。錬金術の専修学校もあるし、僕がマーレディアの魔法学校に通ってた時も何故か基礎教養として錬金術の初歩的な理論が必修科目の一つに組み込まれてた。だがこの町があるローレスタ共和国では、錬金術はマイナーな学問なのさ。そもそもこの国は外国から色々な移民が集まって出来た国だろ? だからこの国独自の文化とか、地域の特色に基づいた文化は発展しなかった。代わりにそれぞれの移民が持つ個人的な趣味趣向やらがどんどん混合されていって、元々の国の文化とは似ても似つかない、キメラみてぇな文化が形成されていった……っつーのがこの国の歴史だ。カペラみたいに普通に暮らしてる一般ローレスタ国民には、当然マーレディア由来の錬金術の文化に触れる機会もないのさ」
 イオニアやセフェリアディス兄弟達の故郷、マーレディア王国は古くから魔術や錬金術に研究が盛んであり、一般人にも広くそれらの存在と有用性が認知されていた。イオニア自身もその一人であり、錬金術に直接携わったことはないにせよその概要は正しく認識していたのであった。
 一方カペラはローレスタ共和国生まれローレスタ共和国育ち。この国ではマーレディア固有の文化である錬金術はローレスタにおいて全くと言っていいほど浸透していない。
 と、このような文化に相違に気付いていなかったおかげでイオニアとカペラは今更ながら、さながらすれ違い漫談の落ちのようなべたべたなやりとりをする羽目になったのである。
「ってことはカペラさん、もしかして錬金術自体を信じてなかった? さっき『像が偽物だったらどっちにしても失敗するよね』って感じのことを言ってたよね。あの言い方ちょっと引っかかってたんだ。妙に含みのある言い方だなあと思ってさ」
「ええ。今だから言うけど、ぶっちゃけ全然信じてなかったわ……」
 カペラはがっくりと肩を落としてそう言うと、右手で大皿の上のスコーンを取ってソファの背もたれにどっかり座り、背中を預けた。そのままのんびりとくつろぎ始めたが、その横でカルメはなにやら難しい顔をして黙り込んでいた。
「……ん、ってことは!」
「どーしたの、カルメ」
「なあカペラ。お前はエヴィアが武器軟膏での治療を実践しようとしたとき、錬金術のことを全く信用してなかったんだよな?」
「え、ええ。さっきそう言ったじゃない」
「じゃあ、エヴィアが失敗したとき、どう思った?」
「だからそれも言ったじゃない。『像が偽物なら、どっちにしても失敗するわよね』って。エヴィアさんが偽物——っていうかインチキだろうが、万が一本物だろうが、どっちにしたって像そのものが偽物なら関係なく失敗するでしょ」
 カペラの言葉を聞いたカルメはにわかに瞳に光を宿し、心底嬉しそうにぽんと手を叩いた。
「ああ、そういうことだったのか!」