15.壊れたものは

 その場にいる全員の視線が小柄な少女へ突き刺さる。カミーユはピンク色の長髪をだらんと揺らして俯いていたが、やがて耐えきれなくなったようでばっと顔を上げた。潤んだ黄色の瞳が照明の光を反射してちらちらと瞬く。
「ごめんなさい!」
 そう言ってぎゅっと目を瞑ると、彼女の顔で二つの大粒の涙がつうっと流れ落ちる。カミーユの隣に座っていたカペラはすかさずハンカチを取り出し、彼女の涙を優しく拭った。
「ゆっくりでいいからね。落ち着くまで深呼吸して、ほら……」
 カペラの介抱の甲斐もあって、カミーユはわりあい早くに調子を取り戻した。はあ、と息を吐いて両手を胸の前で合わせたのち、彼女はたどたどしく語り出す。
「ごめんなさい、あの偽物の女神像をここへ持ってきたのは私なんです。さっきカルメさんが言っていたように、私もカペラさんと同じで錬金術のことを知らなくて……手品の一種だと思っていて。エヴィアさんがもし失敗されて、皆さんの前でかっこ悪いところを見せることになるのは嫌だなあ、と思ってしまって。けれど私、ただ無意味なことをしていただけだったのですね。まるで道化です……」
 そう言ってカミーユはしょぼんとこうべを垂れた。
「それにしても、カミーユちゃんはどうしてそこまでしてエヴィアさんに肩入れ……というか気に掛けていたの? もしかして元々知り合いだったり?」
 イオニアはふと気になって彼女に問いかける。カミーユはローレスタ共和国の富豪の娘、対してエヴィアはマーレディア王国の錬金術師。目立った接点はあるように思えない。
 彼の問いかけに対し、カミーユはぽっと頬を染めて顔を逸らす。
 彼女はまだ何も言葉にしなかったが、その行動こそがカミーユの動機を表していた。まあ、要するにそういうことだろう。
「そっか、カミーユちゃんはエヴィアさんのことをねぇ……ふふふ……」
 カペラは微笑ましいものを見るような目でにこにことカミーユとエヴィアを見比べた。可愛らしくもじもじしているカミーユだったが、対するエヴィアは困ったような笑顔を浮かべている。
「私、あの……昨日、町の噴水広場で初めてエヴィアさんを見て、素敵な人だなあと思ってしまって……ひ、一目惚れだったんですっ」
「そうだね、カミーユ。君の気持ちは嬉しいよ。けれど——」
 彼はおもむろに嵌めていた白い手袋をするすると外した。するとその左手、薬指には小さな青い石があしらわれた指輪が嵌められている。カミーユはそれを見てはっと息を呑む。
「ごめんね。こういうことだから、君の気持ちには応えられない。けど、僕なんかを好いてくれたことは嬉しいよ」
「……はい。うすうす気付いていましたが、改めて言葉にして頂くと堪えるものですね」
 小さな恋に破れたカミーユは、感情の行き場を探しながら震える声で言った。カペラは彼女の背中に優しく手を当てる。
「うんうん、ここまでは予測通りだ」
 そんな中、空気を読めない独り言を言ったカルメはずけずけと推理を進めていく。悲しいかな、堅物な彼の脳細胞には恋愛の機微に心を揺り動かす機能はないのである。
「元々女神像が偽物だったことにしておけば、エヴィアの名誉は守られる。こう思ったんだな?」
 カルメの問いに、カミーユはこくりと頷いた。
「昨日広場でエヴィアさんをお見掛けして、その時にこの方が女神像の修繕を担当する方だと判りました。ですが私は錬金術のことについて不勉強で。もしエヴィアさんが失敗してしまっても、私が後から『それは偽物の女神像だったんですね』と言って女神像が偽物であることを確認してもらえれば、エヴィアさんも恥ずかしい思いをしなくて済むと考えたんです」
「うーん。確かにエヴィアさんが武器軟膏を使った像は偽物だったね。けれど、偽物は偽物なりに肩に傷が付いてた。それはどういうことなの?」
 イオニアが聞くと、カミーユ——ではなく、カルメが彼女に代わり説明しだした。
「その理由を紐解くためには、昨日のカミーユの行動についておさらいすればいいのさ。カミーユは昨日広場で僕達と会った後、教会に戻って礼拝堂にいたディルフィスさんを『林檎の袋を台所に持って行ってほしい』と言って教会の二階へと誘導した。その隙をついて礼拝堂の奥に行き、肩掛け鞄の中に本物の女神像を、倉庫に行って偽物の女神像をそれぞれ肩掛け鞄に仕舞ったのさ。そしてディルフィスさんが台所から礼拝堂へ戻ってきたのを確認したら、次は自分が台所へ行く。そして台所の包丁で偽物の女神像に傷を付けた。そうだろ?」
「はい……けれど、きっと急いでいたので本物の女神像とは反対側に傷をつけてしまっていたんですね。私、そこまで気が回っていなくて……」
「ま、カミーユが本物の女神像に付けられたものと同じような傷を付けるのは難しいだろうな」
「どうして?」
 イオニアが問いかけると、カルメはふふん、と得意げに鼻を鳴らしながら指摘する。
「あの暴漢は左利き、カミーユは右利きだからさ。暴漢は左手に持ったナイフを女神像に正面から振り下ろした。必然的に切り傷は女神像の右肩に、斜め上から入り込む形になる。しかしカミーユのような右利きの人間がナイフを持つとしたら、自然な流れで右手に持つことになるだろう。そのまま一番握りやすい方向に振り下ろすと……女神像の左肩に傷が付く。武器に慣れていない人なら猶更利き手で持つだろうしな。……ま、それで女神像に傷を付けた後は何食わぬ顔で他の人間と合流する。で、皆で女神像を探すタイミングになって、君は倉庫の中を探す振りをして逆に本物の女神像を倉庫に隠したんじゃないか?」
 カミーユがこくりと頷くと、カルメは満足げに口角を上げる。
「ここまで出来たらあとは最後の仕上げだな。カミーユは教会に自分ひとりになる機会を狙って、夜にディルフィスさんが出ていった後そうっと偽物の女神像を礼拝堂に置いた。わざと礼拝堂の照明魔具のスイッチを切って暗がりにし、ディルフィスさんが帰ってきた直後には見つからないようにした。……と、こんなもんか?」
「はいっ……全てカルメさんの言うとおりです、ごめんなさい!」
 深く頭を下げて謝罪するカミーユ。どうやって怒られるのか怖々としている様子だったが、意外にもディルフィスはあっけらかんとした態度で言った。
「そうかそうか。正直に言ってくれただけで俺は満足だ」
「で、でも私、偽物の女神像を不当に傷つけてしまいました。解雇でもなんでも、処分は受けます!」
 カミーユの言うとおり、偽物の女神像の肩には彼女によって切り傷がつけられている。本物なら武器軟膏で治るものの、偽物にこの薬が効かないことは先程エヴィアが実演した通りだった。
 それをわかっているカミーユは平謝りをしていたが、ディルフィスは彼女の顔を上げさせて言う。
「実はあの偽物の女神像の出来にはずっと満足していなかったんだ。新しく造り直すいい機会だよ」
「……へ? 造り直す?」
 カミーユのわきで推理を的中させて余裕たっぷりに佇んでいたカルメの口から、素っ頓狂な声が飛び出した。ディルフィスは机に置いていた偽物の女神像を愛おしそうに撫でながら答える。
「ふふふ、カルメくん達には言っていなかったが、俺は石膏像づくりが趣味でね。この偽物の女神像も、俺が雌型から造って成形したものなんだ。壊れたなら、また作ればいい。そうだろう?」
 ディルフィスはカミーユに向き直り言葉を続ける。その表情は何処までも穏やかでやさしいものだ。
「カミーユ、君もそうだ。今回の失態で失った信用は、今後もここで働くことで再構築していってくれ。君は町の富豪の娘である前に、ひとりの将来有望な修道女見習いだよ」