3.平和だった朝

「プラシオさん、うまくいくといいねぇ」
 翌日の朝。三人分の朝食の支度をしつつ、イオニアは何気なく口を開いた。
「そうだな。まあ、あの様子なら大丈夫だろ」
 家主であるカルメは悠々とソファに座り、今朝の新聞を読み進めていた。昨日はあの後も耳にたこができるほど惚気話を聞かされたのだ、あの恋人達がラブラブなことは分かりきっている。カルメの興味はすでに違う方面へと移り変わっているようで、いつもより熱心に新聞記事を物色していた。

「『山でお手柄ハーピー!』『水底へと消えたカップル 心中か』『第114回ジベラルタ総合格闘技大会開催! 優勝候補へインタビュー』……うーん、特に面白そうな話題もねーな。もっとこう、『新魔法陣の開発に成功!』とかありゃいいのに」
 ああ、自分で作ればいいのか。カルメは先ほどの言葉を口に出したあと、自らの本業を思い出した。最近は専ら探偵所のほうの仕事が忙しくなってきたせいで、魔術師らしいことが全くできていない。どこか高名な魔術師が共同研究の依頼でも持ってこねーかな、などとのんきに考えていると、横っ腹をどすん、とした衝撃が襲う。

「いって!」
 虚弱な魔術師は情けなく声をあげた。
「なあに? あたしが持ってきた新聞にけちつけるわけ?」
 カルメにエルボーをお見舞いした女性は、冗談めかしてけらけらと笑っている。
「おいカペラ、肘打ちは冗談のつもりでも結構痛いからやめてくれ……」

 横腹をさすりながら、カルメは横に座っている女性へ抗議した。人間の肘は硬くとがっているため、力のない女子供でもそれなりの攻撃力がある。ひょろい、つまり防御力の低いカルメにはひとたまりもない。それを知ってか知らずか割と強めの力でお見舞いしてきたのだ、文句の一つや二つも言いたくなるだろう。
「あれ、本気で怒ってる? ごめんごめん、機嫌なおしてってば。あ、そうだ! 今度フォルデルマン運輸の割引券を作ったら、真っ先にカルメの所へ届けるからさ。それで許して、ね?」
「ああもう、それでいいぞ」

 よく回る口だ、と思いつつ、カルメは適当に返事をする。自分の事業にまつわるもの、しかも無料券ではなくあくまで『割引券』なのが実にカペラらしい。
「やったー。それにしても悪いわね、探偵所へ新聞を届けに来ただけなのに、朝ごはんまでごちそうになっちゃって」
「いいのいいの。カペラさん、今日はここで配達終わりでしょ? せっかくだからゆっくりしてってよ」

 今の時刻は午前七時半。探偵所に泊まりこんでいたイオニアがせっせと朝食を作っている最中に、自前の馬車で運送業を営む女性、カペラが探偵所へと新聞を届けに来ていた。いつもならすぐに次の配達へと向かうのだが、今日はたまたま何も用事がなかったのでイオニアが「じゃあ上がっていきなよ!」と家主に代わってカペラを探偵所内に招待したのである。カルメももうそういったことは慣れっこなので、気にも留めずに受け取った新聞を読んでいた。

「助かるわぁ。カルメから聞いたんだけど、イオニアくんの料理ってメチャクチャ美味しいらしいね? 一度食べてみたかったの!」
「え、カル兄がそんなことを?」
 きらきらと目を輝かせて、カペラは料理台に向かっているイオニアへと声をかけた。隣のカルメが慌てた様子でカペラの言葉を遮ろうとする。

「あっおい、本人の前で言うなバカペラ。なんか恥ずかしいだろ!」
「何よバカルメ! あたしの名前はそんなんじゃないわ!」
「僕のだってそんなんじゃねえ!」
 自分がいるときはそんなこと一言も言ってくれなかったのに、と思ったが悪い気はしない。後ろでカルメとカペラがやいのやいのと騒いでいる声をBGMにして、上機嫌なイオニアは朝食づくりを続けた。

「はーい完成。俺のオリジナルブレンドのコーヒーと一緒に召し上がれ」
「げ。いつの間にか探偵所に色んな種類のコーヒー豆が増えてたのはそういうことかよ」
 しばらくしてカルメ達の目の前のローテーブルに置かれたのは、出来立てのエッグベネディクトにハニートーストと湯気の立つコーヒーカップ。

「何これおいしー!」
 カペラは早速イオニア特製エッグベネディクトに舌鼓を打っている。手早くエプロンを外したイオニアもカルメ達の向かいのソファに座り、幸せそうにハニートーストへかぶりついた。

「いいじゃんいいじゃん。コーヒー豆も道具も全部ちゃんと自分で買ってるんだし」
「確かにお前がバイト代を何に使おうが勝手だけどな、元はと言えばそれって僕が出した金なんだぞ? なんかこう……『僕の』金のおかげで『僕の』家に『他人の』私物が増えてくのって複雑というかなんというか……」
「え〜? 俺とカル兄は他人じゃなくて従兄弟じゃん」
「そういう意味じゃなくてだなぁ……」

 悪びれもせずニコニコと言いのけるイオニアに向かって——実際何も悪いことではないのだが——カルメは何とも言えない、渋い顔でコーヒーをすする。少々酸味の混じった苦みを甘いハニートーストで中和しようとパンをひっつかんで口へ運ぼうとした瞬間、がらんごろんと探偵所のドアベルが暴れ出した。

「えっ、何事!?」
 イオニアが驚く。口いっぱいにハニートーストを詰め込んだカルメが慌てて玄関へ向かうと、そこには目を真っ赤にした青年が立っていた。

「カルメさあああん!! 助けてくださああああい!!」