6.フラグは回収するもの

「な、何これ……」
「アクアリウム? にしてはいくらなんでもデカすぎるだろ……」

 二人並んであんぐりと口を開ける。彼らの眼前にそびえ立っているのは、天井ギリギリまでの高さと人間二、三人分の横幅、そしてたっぷりとした奥行きを持つ大きな直方体だった。透明なその容器の中にはなみなみと水が注がれているばかりでなく、大小様々な魚たちが群遊している。
 カルメは水槽のガラスにぴとりと手を当てて中身を観察した。中にあるのは自然の状態に限りなく近い底砂、フェイクではなく本物の水草、そして見慣れない妙な姿形をした魚たち。

「わあっ、すごいすごい! この梯子を登れば上から水槽を見渡せるよ!」
 一方イオニアは、いつの間にか水槽の端に立てかけられていた梯子に登りきゃいきゃいはしゃいでいる。

「おい、足を滑らせて落ちたりするなよ」
「わかってるって〜!」
 カルメは水槽から一切目を離さず淡々とイオニアへ呼びかける。上から能天気な返事を浴びた後も、彼は長い間じいっと水槽の中を見つめていた。

「それにしても、ベリルさんはこんな大きな水槽をいったい何のために用意したんだろう」
 梯子の一番上まで登ったイオニアは、上空から水槽の全景を見渡してひとり呟いた。下の方ではカルメが依然として水槽の中を観察している。
(カル兄、まだやってる。何をそんなに見てるんだろう)
 少し気になったイオニアも、水槽の中身へ目を向けてみた。中には決して華やかとは言えないような、色のバリエーションが少なくヘンテコな形をした魚が泳いでおり、一般的に想像されるアクアリウムとは程遠い印象を受けた。なぜベリルはこんな大掛かりなアクアリウムを自室に飾っていたのだろうか? それに、わざわざ魔法で鍵をかけていたのも気になるところだ。

(もしかして、ニッチな趣味すぎてプラシオさんにも隠したかったとか?)
 イオニアは自分がプラシオの立場になった時を想像した。自分の恋人がこんな海洋学者の研究室のような水槽を家に設置しているのを見たら、多かれ少なかれびっくりすること請け合いだろう。彼自身も自慢の剣コレクションを僧侶志望の知り合いに見せてドン引きされた過去があることを思い出し、ちくりと古傷を痛めた。

「そう考えればあまり不自然なことでもないのかな」
 どれどれ、と水槽の中をさらによく確認しようと身を乗り出すイオニア。そのとき、梯子ががたりと音を立てて崩れ落ちた。

「えっ!?」
 水槽の縁に体重をかけていたイオニアはそのまま前のめりに倒れ込み、大きな音と水しぶきをあげながら不格好に水槽の中へとダイブ。人間ひとりが広々と泳げるくらい大きなスペースの中、彼はガラス越しに心底呆れた顔をしたカルメとばっちり目を合わせたのだった。

◆◇◆

「それみろ、言わんこっちゃない」
「面目ないでーす……」
 たまたま持っていたタオルでイオニアの髪をがしがしとタオルドライしながら、カルメはぶっきらぼうに吐き捨てる。あの後何とか自力で水槽から這い出たイオニアだったが、全身くまなくびしょ濡れになってしまった。

「どうすっかな。流石にお前の着替え一式は持ってきてねーし」
「もしかして探偵所に帰るまでこのまま? 自業自得とはいえきっついよ〜」
「風魔法か火魔法を使えれば良かったんだが、生憎僕の魔力は土と水方面寄りなんでな。こればっかりは仕方ない」
「うへー……」
「大体見たいもんも見れたし、そろそろ帰るか。イオニア、今何時ごろだか分かるか?」
「えーっと、午後四時ちょっと過ぎかな」

 イオニアは懐から懐中時計を取り出して答えた。あらかじめ防水魔法をかけてある商品だったため、あの浸水にも耐えられたようだ。ほっと一安心しつつ時計をしまう。 
「微妙な時間だな。とにかく外に出ようぜ」
「はあい、お邪魔しましたー。……へっくし!」

 一足先に家を出たカルメに続き、くしゃみしながらベリルの家の鍵を閉めるイオニア。そのとき背後から鈴を転がすような、聞きなれない声がした。

「あ、あなたたち誰ですか? もしかしてどろぼー!?」
「いや僕たちはちょっと……なんて言えばいいんだろうな?」
 謎の声の持ち主と相対したカルメは、横目で後ろのイオニアの方を見ながら要領を得ない回答をする。この世界では『探偵』とかいう職業の認知度はほぼゼロに等しい。だからこそ、『婚約指輪を一緒に見繕ってほしい』などという何でも屋のような依頼も舞い込んでくるのだ。

「怪しい者ではないよ。俺たちはベリルさんの恋人の友達で、その人に頼まれてベリルさんのお家を調査してたんだ」
 イオニアは振り返りながらカルメの言葉を引き取る。目の前に現れたのは、人間のような身体に鳥のような手脚を持った女性だった。

「ベリルちゃんの彼氏さんのお友達……そういえばあの子の彼氏さんは人間でしたね」
 女性は目を閉じてうーんと考え込む。彼女は翼の先端を人間の指のように器用に折り曲げ、顎へ当てていた。
「ちょっと怪しいけど、いちおう信じます。でも、どうしてベリルちゃんのおうちで調査なんてしてるんですか?」
「それを話すと長くなるんだが……見たところあんたハーピーだろ? 全部教えるから、ひとつ頼まれてくれないか?」
「なんでしょう。わたしにできることならお手伝いしますが」

 とりあえず疑いを晴らしてカルメはほっとする。会話相手が異種族だと分かると、何を思い付いたのか彼はイオニアの肩をぐっと掴み、女性の前へ突き出して続けた。
「コイツの着替えを用意できるような場所へ、転移魔法で連れてってほしい」