11.残されたのは

 プラシオの依頼の後処理を終えて数日たった後。カルメの探偵所は特段大きな依頼に悩まされることもなく、いたって普通の日常を送っていた。溜めに溜めた洗濯物を干そうと重い腰を上げて庭へ出たカルメの頭上に鈴を転がすような、聞き覚えのある声が降ってくる。

「たーのもー」
「ここは探偵所だ。道場破りなら他を当たってくれ」
「カルメくんは遊び心がないですね。本気で破りに来たわけじゃないですよ」

 びゅうん、と一陣の風と共に現れたのは数日ぶりに見るハーピーの姿。桃色の長髪を風に揺らしながらふわりと地面に着地する。
「それはどうでもいいんだよ。わざわざ探偵所まで来るなんてどうしたんだ?」
 よっこいせと物干し竿を準備しながらカルメは言った。コンレイはむっとしたように彼の洗濯物かごを見つめる。
「イオニアくんに貸していた洋服を引き取りに来たんです。まさか、まだ洗濯し終わってないなんてことはないですよね?」

 カルメはびくりと動きを止めた。そのまさかである。そもそも、一人暮らしの男性が洗濯をする頻度などそう高くはない。彼自身のズボラな性格も合わさり、今回の洗濯物の量はおよそ二週間分となっていた。
「……すまん。多分この中にある」
「ほんとに終わってなかったんですか……」
 コンレイの呆れた視線がカルメに突き刺さる。萎縮しながら洗濯物を干すカルメのとなりに、同じく洗濯物を持ったコンレイが並んだ。

「おい、別に手伝わなくてもいいぞ。服は乾いたら責任もって届けるから」
「いいんです。ひとのお手伝いをするのは好きですし。それに今日はカルメくんにもう一つ用事があるので」
「用事?」
「はい。面接に来ました」
 翼の先を器用に操りテキパキと手際よく洗濯物を干していくコンレイ。あまりにもナチュラルに出てきたその言葉に、カルメは一瞬反応が遅れた。

「なるほど、面接か。……面接?」
「はい。バイトの面接です」

◆◇◆

「ええと、粗コーヒーですが」
「おかまいなく。……粗茶じゃないんですね」
「僕の探偵所にコーヒーと水以外の飲み物は存在しない」
「それ絶対健康に悪いんで止めた方がいいですよ」

 大量の洗濯物を干し終わったカルメはとりあえずコンレイをリビングへ通してソファへ座らせた。先日イオニアが挽きすぎて余ったコーヒーの粉があったので、さっと淹れて客人へと出す。コンレイはきょろきょろと探偵所の内装を眺めたのちマグカップを翼に取った。カルメはどっかと反対側のソファに座り、腕を組んでそれを見つめる。

「それはそうと、バイトの面接ってどういうことだ。別に従業員募集の広告を出した覚えはねーぞ」
「イオニアくんから直々にスカウトされたんですよ。『俺たちの探偵所で働いてみない? カル兄は年齢の割に儲けてるほうだから、お給料も結構弾んでくれるよ』って」
「あいつ、何勝手に調子の良いこと言ってんだ……」
 確かに、彼が本業である魔法研究職において決して少ないとは言えない額を稼いでいるのは事実だ。その功績を認められ魔法学会から『魔術師』の称号を与えられたのも記憶に新しい。

「わたしは転移魔法が得意ですし、お役に立てると思いますよ。あと探偵所の内装プロデュースも!」
「内装? そんなの探偵所の仕事に関係あるのか」
 思いがけない方面から話を振られ、カルメは素っ頓狂な声をあげた。カルメの自宅としても使われているこの探偵所は、お世辞にも凝った内装とは言い難い。リビングに併設されたカウンターキッチンの上には、乾かし途中の食器がずらりと並べられたままだ。

「大ありですよ。うちのロッジもカルメくんの探偵所も同じ客商売です。お客さんに少しでも居心地の良い時間を過ごしてもらうことができれば、リピート率も上がるってもんです」
 彼女はぐっ、と翼の先端を丸めガッツポーズのような仕草をした。

「探偵所そのものには今まで何も気を配ってこなかったからなあ。これもいい機会か……」
「そうですよ。なのでわたしを雇いましょう」
「分かった。……って言うまで帰らない気だな?」
「よくお分かりで。では、これからよろしくお願いしますね!」

 にっこり笑顔で穏やかに、しかし有無を言わさぬ口調で詰め寄るコンレイ。結局カルメはその気迫に押され、コンレイをバイトとして正式に雇うことにしたのだった。ふう、と息を吐いて席を立ち、雇用契約書を書くための筆記用具を取りに行くカルメ。そんな中、来客を知らせるドアベルの音が響いた。

「お客さんですかね?」
「多分な。お前も一応来てくれ」
 カルメとコンレイは肩を並べて玄関へと向かう。そこには先日の依頼人プラシオとその恋人ベリルが立っていた。

◆◇◆

「こんにちは。何日かぶりですね、カルメさん」
 人好きのする笑みを湛えてプラシオが挨拶する。その後ろにいるベリルは変身魔法を使っているのだろう、顔つきや体つきは浜辺にいた時と変わらないが、彼女の足は人間のそれである。

「元気そうで何よりです。何か追加の依頼ですか?」
「いいえ、そういうわけではないのですが……」
 プラシオはベリルの方をちらりと見る。プラシオへ向けて小さく頷いた後、彼女は一歩また一歩と踏みしめるようにカルメたちの方へ近づいた。

「この前は、私のせいで騒がせてしまってごめんなさい」
 ベリルは上品な仕草でゆっくりと頭を下げた。彼女の首元を飾るものは、もはや何もない。
「なんだ、そんなことか。別に僕は怒ったりしてねーから、頭を上げてくれ」
「ありがとう……」
 カルメは事もなげな様子でさらりと言い放つ。ベリルは頬に涙を伝わせながら顔を上げた。

「おかげでセイレーンによる他種族殺しの手口も分かったことだしな。予防策を考えて国民に広く周知させりゃあ再発防止にもなるだろうよ」
「そうですね。なんにせよ、収まるところに収まってよかったです」
 コンレイも心底嬉しそうに言った。プラシオからハンカチを受け取って涙を拭くベリル。それを見て、カルメはふとあることに気づく。
「指輪、受け取ったんだな」
「ええ。これからはプラシオと二人、地上で支え合いながら生きていくわ」

 幸せそうに話す彼女の左手薬指には、きらりと輝くアメジストの指輪が残されていた。

〈了〉