「はい、ノート三冊と万年筆のインク瓶一本で合計千三十ゴールドです」
「ええっと……はい、これでお願いね」
「では千百ゴールドのお預かりで、七十ゴールドのお返しです。ありがとうございました!」
一枚の紙幣と金貨を受け取り、一枚の銀貨と二枚の銅貨を返す。うんうん、だんだんお金の扱いにも慣れてきた。商品を詰めた袋を手渡すと、歴史学の先生はにこやかに手を振り店を後にする。
「ありがとう。イオニアくん、店番頑張ってね」
「はーい、ローズ先生!」
俺は朗らかに返事を返す。授業用のノートを作成している途中なのだろう、彼女の指先には変色して紫がかったインクの痕が小さく残っていた。俺はそれを見て、週明けの歴史の授業を思い出し笑顔の裏で少しだけ憂鬱な気持ちになった。ああ、予習しとかないとなあ……
◆◇◆
ここはレストールの町にある騎士学校……の中にある購買だ。昼食用のパンに座学用のノートから実技用の訓練用武器まで、取り扱う品は幅広い。騎士学校の関係者は勿論のこと、訓練用の武器を買い求める冒険者や日用品を補充しにくる近隣住民など、その客層もさまざまである。
そしてここの学生である俺は丁度ひと月前からこの購買で働き始めた新米バイトだ。といっても、元々ここで働いている先輩の代打で出ているに過ぎないが。
彼女は俺より一学年上で、就職に向けて二か月間に渡る長期のインターンシップをすることになったのだ。その勤務地はこの町から遠く離れたところにあるので、住み込みで働くしかない。しかしそうなると、この学校の購買でバイトなんかできやしない。ということでたまたま暇をしていた俺に白羽の矢が立ち、彼女の留守中におけるアルバイターとしての地位を借り受けることになったのである。あともうひと月もして彼女が帰ってきたら、俺はまた『ローシャ探偵所』のバイト一本に専念するだろう。
さて、ここでいくらか耳慣れない固有名詞が出てきたと思うので、さらっと自己紹介をさせてもらおう。俺の名前はイオニア・ラウティオ。半年ほど前に故郷の国からこのレストールの町があるローレスタ共和国にやってきた、騎士学校の交換留学生である。得意な教科は剣術と天文学、苦手な科目は現代文。まだこの国の空気には慣れないけど、それなりに溶け込もうと努力している段階だ。
『ローシャ探偵所』というのは、数年前からこの町に住んでいる俺の従兄が趣味半分、気晴らし五分の二、実益十分の一で経営している何でも屋さんのようなもの。彼は「探偵事務所だ」と言い張っているが、探偵なんていうのは古典小説の中にしか存在しないほぼ架空の職業であり、一般の人々からの認知度は低い。そのため探偵所には彼の魔法の知識を見込んだ魔法使いからの研究の依頼だったり、迷い使い魔の捜索の依頼だったりとあらゆる角度からの雑用が流れ込んできている。
これではとても本家本元の『探偵』からはかけ離れていると思うのだが、探偵オタクの本人はいたって幸せそうだ。なので俺は余計な口出しはせず、彼の探偵所の手伝いをしているというわけだ。——なんたって、お給料はいいからね!
「いらっしゃいませー」
他のバイト従業員の声が購買の店内に響く。俺はカウンターでの現金出納係なので、先程の会計に関する帳簿を締めつつ次の客を待った。
やがて目の前に現れたのは、鮮血を思わせる真っ赤な虹彩を持った少女と老紳士。老紳士がカウンターに置いた買い物かごの中には、大きくそびえたつ商品の山ができている。またも見覚えのある客に当たった俺は、商品を袋詰めする手を止めずに声をかけた。
「あれ、リラじゃん。珍しいね」
彼女、リラは俺の同級生の吸血鬼で、一緒に居る老紳士はその祖父だ。俺の祖国はあまり獣人や吸血鬼がいない地域なので、留学してきて初めて彼らの姿を見たときは内心とても興奮したのを覚えている。このローレスタ共和国は世界でも有数の多種族国家であり、町を歩けば様々な種族の人々が往来しているのを見ることができるのだ。吸血鬼もこの国ではそう珍しい種族ではないようで、彼らの一族もこの騎士学校の近くに居城を構えているらしい。
そういった事情もあり彼女の父母も祖父もよくこの購買に買い物に来るため、俺は彼女の家族全員とすっかり顔見知りになっていた。
しかし、彼女自身はあまりこの購買に来ることはない。ここのメロンパンは美味しいのに、と以前に薦めたこともあるが、「ここの購買は安い割に量が多いからついつい買いすぎちゃうのよ。ダイエットの敵だわ」と一蹴されてしまった。
そんな彼女が今は買い物かごいっぱいにお菓子を詰め込み、カウンターへと持ってきている。ダイエットは諦めたのだろうか。まあ、元からそんなことをする必要もないほどスレンダーなのだから、無理してこれ以上細くならなくてもいい、とは思う。
「ええ。明日は土の曜日でしょ? だから友達と一緒に引きこもりパーティをするのよ。これはその買い出し」
そう言って彼女は白くて細長い指で俺の手元を指差す。その先にあるのは、大きなトマトジュースとオレンジジュースの瓶、それに多種多様なスナック菓子たち。この量では恐らくメンバーは五、六人ほどだろうか。中々の大荷物であると同時に、ひとつひとつのカロリーも中々に高そうだ。まるで冬眠前の熊が蓄えるような栄養素の大渋滞に、思わず俺は顔を引きつらせた。
「……言っとくけど、ダイエットをやめたわけじゃないからね。明日はノーカンの日よ」
「まだ何も言ってないじゃんか」
俺の表情を目ざとく見ていたリラは赤い瞳でじとりとこちらを射抜く。きまりの悪くなった俺は無理やりながらも話題転換を試みた。
「……でも、これ全部リラの買い物だよね。お祖父さんは何も買わなくていいんですか?」
「わしはリラの荷物持ちだよ。全く、じい遣いの荒い孫じゃ」
「なるほど。確かにこの量だとリラだけで運ぶのは大変そうですもんね」
少女の傍らに控えていた老紳士は快活に笑った。なんとも仲睦まじいじじ孫だ。俺も故郷の祖父を思い出し、自然と口元が緩んだ。そうこうしているうちに最後の商品を詰め終わり、会計へと移る。
「……はい、では合計三千九百二十ゴールドで、四千ゴールドのお預かりなので八十ゴールドのお返しです」
俺は釣銭箱から硬貨を四枚手渡す。リラはそれを受け取ろうとして、一瞬ぴくりと手を止めた。
「あれ? お釣りの計算間違ってた?」
「いや。いいのいいの、なんでもないよ」
彼女はそそくさと小銭を財布にしまい、ありがと、と言い残して祖父と共に購買を後にする。その後ろ姿を見送りながら、俺もぼんやりと週末の予定を考えていた。