4.女神像消失事件

「イオニアくんー、いつもの!」
「はーい。カペラさん、もうすっかり探偵所の一員みたいだね」
 まるで酒場のような注文の付け方にイオニアは苦笑しつつも、シャツの腕を捲り上げる。そのままエプロンを付けて台所へと向かった。
 カルメ達が怪しい青年、エヴィアと会った更に翌日。イオニアはカルメの探偵所で雑用をしつつ、最早常連訪問者となったカペラをリビングでのんびりもてなしていた。ちなみに家主は書斎にこもってなにやら研究中である。
 イオニアはそんな魔術オタクな探偵に代わって探偵所の店番をしつつ、郵便物を届けに来ていたカペラに軽くつまめるおやつを作るところだ。
 彼女——カペラ・フォルデルマンは自前の馬車で郵便物やら人間やらをせっせと運ぶ『フォルデルマン運輸』という運輸事業を展開している。因みに従業員は彼女一人、つまりワンマン運営だ。この探偵所は町の郊外に位置しており、必然的に彼女の配達ルート上でラストになりやすい。ということで、カペラはよくカルメの探偵所に入り浸っているのである。
「まあ俺もヒマだったから丁度いいや。ゆっくりしてってね」
「えへへ、ありがと。お言葉に甘えてゆっくりしてくわ! ……ところで、最近コンレイを見かけないけどどうしちゃったの?」
 コンレイというのは、この町の近くにある山の麓に住んでいるハーピーの女性だ。以前起こった騒動でイオニア達と知り合い、面白そうだから、という理由でときたま探偵所へバイトしに来ている。本業は、彼女の一族が家族で経営している山麓のロッジの手伝いらしい。
「コンレイさんなら、『ジベラルタ国で開催される格闘大会の観戦チケットが、ようやく! ようやく自引きできたんです!! これは最早運命なのでひとっ飛び行ってきますね!!』って言って絶賛ジベラルタ旅行中だよ」
「格闘大会?! あの子、見た目の割にごつい趣味してんのね……」
 カペラが反応に困ったような返しをした時、からんからんという音が探偵所に響き渡る。どうやら新たな客人のようだ。そんなドアベルの音へ呼応するように、どたどたと階段を駆け下りる音も聞こえてくる。長く垂らした右の横髪をぴょこぴょこ揺らしながら現れたのはカルメだ。イオニアが玄関へ行くよりも早く、彼は来客のもとへと向かっていく。
「あら、珍しく反応が早いわね」
「だね。研究に行き詰まってだらだらしてたんじゃない?」
 クールでドライなやり取りがリビングで為されていることをつゆも知らないカルメは、慣れた様子で客人を応接間に通した。
「おい、イオニア。仕事だぞ。カペラは……とりあえず僕たち側のほうに来てくれ」
「はーい」
 そう言うと、カペラはイオニア達が座っているほうのソファに座りなおした。そしてもう一方のソファを客人に勧める。——便宜上応接間と表記こそしたが、この小さな探偵所はリビングと応接間が兼用なのである。
「どうぞお座りください、レーニアさん、ドロシアさん」
「へ?」
 台所で客人用のコーヒーを淹れていたイオニアは、聞き覚えのある名前を聞いて思わず素っ頓狂な声を出してしまった。淹れたてのコーヒーを出す相手は、なんと一昨日会ったばかりの修道女と女性警官だったのだ。

「それで、依頼とはいったい?」
 仕事モードに入って幾分きりっとした表情のカルメが問う。その言葉を受け、レーニアはゆっくりと語りだした。
「実は……あの暴漢事件の後、女神像の肩にナイフでつけたと思われる切り傷が見つかったのですわ」
「女神像? ああ、一昨日教会でイオニアが見ようとしてたやつか。たしか、特殊な素材で作られているんでしたっけ?」
「はい。修繕にも特別な薬が必要なので、昨日その薬を作ることができる方に教会まで来て頂きましたの。ですが、その方が来られた夕方ごろに礼拝堂を見てみると、なんと女神像がきれいさっぱり消えてしまっていたのです」
「ふうむ、要するに失せ物ってことか。イオニア、あの暴漢が暴れ出した時のことを覚えてるか? あの時から、女神像がどういう経緯で消えたのか時系列順に整理したい」
 カルメは顎に手を当て考え込む仕草を作りながら、横に座っているイオニアに訊ねた。イオニアはなんとか当時の状況を思い出そうとうんうん唸りながらそれに答える。
「確か、あの暴漢はカミーユちゃんにナイフを振り下ろす直前まで右手で女神像を掴んでいたんだよね。たぶんその時に切り傷がついたんじゃないかなぁ。……えーっとそれで、ごとって変な音がして、多分床に転がっちゃって……」
 次第に声の音量が小さくなっていくイオニアを見かねて、レーニアがその後の言葉を引き取る。
「ええ。イオニアさまが暴漢を捕まえてくださって騒動が落ち着いた後、わたくしは礼拝堂の床に転がっていた女神像を見つけましたの。わたくしはすぐ像を拾い上げたのですが、その時に切り傷を発見しまして。まずは牧師であるディルフィスさまに相談しようと、教会の二階にある事務室に持って行ったのですわ」
「ふむ」
「ディルフィスさまに相談したところ、彼の弟さんが女神像を修繕する薬を作ることができると仰っていました。そこで彼が弟さんに通信機で連絡を取ると、丁度この国に旅行中とのことで次の日に来て頂く約束をしましたの。それで一昨日の事件について一通りの対処を終え、とりあえず女神像は傷がついたまま礼拝堂の奥、元あった場所へ戻しておいたのです。そして、昨日わたくしが教会へ出勤した朝にはまだ女神像はその位置にありました。ですが、夕方になったころは魔法のように消えてしまっていたのです」
「これは窃盗事件かもしれません。そう思って我々警察も捜査を進めていたのですが、どうも容疑者が少なすぎて……魔術でなにかしらの細工をしない限り、教会内部の犯行としか思えないんです。そこでカルメさんには魔術的な観点から捜査にご協力いただきたい、というのが依頼の概要です」
 ドロシアははきはきと説明する。
「わかりました、その依頼お受けしましょう。早速ですが教会をお訪ねしてもよろしいですか?」
 カルメもこの事件には興味を惹かれたようで、対して悩む間もなくドロシア達の依頼を承諾した。何でもない風を装ってこそいるが、イオニアは彼の口元が嬉しさと期待で歪んでいるのを見逃さなかった。この男は魔術バカであり探偵バカなのである。