7.続・『武器軟膏』実演ショー

 しかしそんな中、イオニアは先程から感じていた違和感の正体に気が付いた。今、ここにある女神像。彼女は左肩に傷がつけられている。しかし彼が一昨日見た女神像は、違う箇所に傷がついていたはずなのだ。
 この気づきをカルメへ共有しようとしたイオニアは、ふとカルメがカミーユをじいっと見つめていることに気が付いた。
 ぴん、と頭に悪い考えが浮かんだ彼は、当初の目的を一旦横に置きカルメの片腕をつつきながら絡んでいく。いつも振り回されてばかりなのだ、ちょっとぐらいは仕返ししてもいいだろう。
 ……と、思ったのだが。
「なになにカル兄、もしかしてカミーユちゃんみたいな清楚な妹系の人が好みなの?」
「ばーか、年下はストライクゾーン外だ。お前とお前の妹を思い出しちまうからな」
「アドリアは置いといて、俺が思い出される筋合いはなくない?!」
 からかわれ返されるだけでは飽き足らず、オマケにふん、と鼻で笑われるイオニアであった。性格の悪さではカルメの方が一枚上手のようだ。
 こほん、と決まりの悪さを咳払いで吹き飛ばしたイオニアは、元々言い出そうとしていたことを口に出した。
「カル兄の性癖の話はどうでもいいんだ、それより! ……あのさ、一昨日あの暴漢の人が斬りつけた女神像は本物だと思うよ。少なくとも、今ここにある女神像と、一昨日斬られた女神像は別物だと思う」
 その言葉を受けて、カルメは興味深そうな顔でイオニアを見つめ直す。ディルフィスも何やら楽し気にイオニアへ問いかける。
「へえ。イオニアくん、どうしてそう断言できるんだい?」
 続きを促すような皆の視線を一身に受けて少し物怖じしながらも、彼は話を続けた。
「あの暴漢さん、ナイフを左手に持っていたんだよ。つまり左利きだったんだ。そのまま左手を振り下ろして女神像の肩を正面から斬りつけたら、像の右肩に傷がつくはずでしょ? でも今俺たちが見ている女神像は左肩に傷がついてる。これっておかしいよね?」
「言われてみれば……確かにあの暴漢は警察署でも左手でペンを握っていました」
 この説を補強したのはドロシアだ。イオニアは自らの発言が受け入れられて内心ほっとしつつ胸をなで下ろした。そのとき、ふとぴりりとした痛みを感じて自らの左手に目を向ける。どうやら一昨日に暴漢と格闘した際にナイフの刃がかすってしまっていたようで、彼の手の甲には小さな切り傷が出来ていた。その様子を目ざとく見つけたエヴィアは、イオニアへすかさず声をかける。
「もしかしてその傷、一昨日このナイフで出来たものかな? もしそうなら僕が治してあげるよ。せっかく作った武器軟膏を無駄にはしたくないからね」
「えっ、俺の傷を?」
 思わぬご指名に油断した声を上げるイオニア。カルメはとん、と彼の背中を叩きながら言った。
「丁度良い、治してもらえよ。僕も目の前で見るのは初めてなんだ。どういう仕組みで治るのか、きちんと見てみたい」
 どこか楽観的なカルメとは対照的に、カペラとカミーユは眉をひそめた。彼女たちはイオニアの身を心配しているようだ。
「それって女神像用の薬なんじゃない? 人間に効くの?」
「ふふふ、この薬は元々人用に開発されたものさ。効力は折り紙付きだよ。やるかい、イオニアくん?」
 正直に言ってこの錬金術師の態度には疑問が残るが、イオニアも武器軟膏の仕組み自体には興味があった。彼がこくりと頷くと、エヴィアは満足そうににっこりと微笑んだ。
「じゃあ、早速行くよ。それっ」
 今度はいささか乱暴に、さくっと魔力でイオニアとナイフを結びつけて手早く粉薬をナイフへ振りかける。その瞬間。
「……!?!? いっっ……たあ~~~~っ!!」
 切り傷の痛みなど目でもないほどの激痛がイオニアを襲ったのだった。

「いたい……念入りに研がれた魔物の爪で化膿してる傷口をぐりぐり弄ばれるみたいにいたい……」
 イオニアは涙目になりながら左手の甲をさすっている。しかし彼が手を当てている箇所には目立った外傷は見当たらず、健康的な手そのものだ。
「ごめんね、武器軟膏での治療は激しい痛みを伴うんだ。じきに痛みは引くから安心して」
「はぁい……こんなに痛いとは知らなかったよ」
「ま、これでナイフが本物だってことは証明されたな」
 イオニアは弱々しく返答し、カルメは感心したようにイオニアの傷跡を覗き込んで呟いた。その後ろで驚いていたのはカペラ達女子組である。
「ほ、ホントに治るのね」「……!」「こんなに手際の良いのは初めて見ましたわ」
 などと各々口々に喋りながらエヴィアへ賞賛の眼差しを送っていた。その後しばらく一同は幾分和やかな雰囲気だったが、それを突き刺すようにカルメの冷たい声が響く。
「さて。ナイフと武器軟膏が本物だと確定したということはつまり、武器軟膏に何も反応を示さないこの女神像は偽物だということだ」
「ええ、そうなります」
 ドロシアが苦虫を噛み潰したような顔で肯定する。真面目そうな彼女にとって、真に価値ある女神像が知らない間に弄ばれていたという事実はよほど堪えるのだろう。そんな彼女とは対照的に、カルメはどこか楽しそうに話を続けた。
「その上で。もしカミーユの説が本当なら、この件は当初の依頼から話が変わってくる。只の消失だったらまだ失くしたっていう言い訳が効くかもしれねぇが、すり替えとくれば人為的なものが絡んでくるだろう。恐らくわざわざ女神像をすり替えた犯人が存在する」
「と、いうことはつまり?」
 俄然活き活きし出すカルメ。これはつまりそういうことだな、と鋭いカンで予測したイオニアはすかさず従兄に合いの手を入れた。最早手慣れたものである。
「これは『女神像消失事件』改め、『女神像すり替え事件』だ」
 想定通りに事が進んで嬉しいのか、声を弾ませながらカルメは言った。しん、と静まり返った周りを見渡して、先程とは一転して低い声で告げる。
「本物の女神像を探しに動いてもいいが……この事件は犯行時刻の関係上恐らく内部の犯行だ。犯人をとっつかまえて、本物のありかを吐かせた方が手っ取り早い。ということで——まずはレーニアさん、事務室まで来て頂けますか。一人一人に事件の時のアリバイをお聞きしたい」