7.ハーピーロッジにて

「わあ、この服動きやすくていいね!」
「でしょう? うちのロッジは色んな種族の宿泊客が多く来るので、洋服のストックはバッチリですよ」
 早くも打ち解けたイオニアとハーピーの女性は楽しげに談笑している。カルメは彼女の母から温かい飲み物を受け取り、静かに備え付けの新聞を眺めていた。

 ハーピーの女性が転移魔法で送ってくれたのは、彼らが登っていた山の麓にある小さな山小屋。彼女らは家族でこのロッジを経営しているらしい。小さくとも管理が行き届いており、家具や調度品の一つ一つが丁寧に手入れされていることがわかる。大広間に飾られた花瓶には、上品にアレンジされたブーケが生けられていた。

「そういえばあなたには自己紹介がまだでしたね。わたしはコンレイ。ベリルちゃんとはお友達なハーピーです」
 着替え終わったイオニアと連れ立ってカルメの方へ歩いてきたコンレイは、にこりと口角を上げて柔らかく笑った。
「僕はカルメ。見ての通り人間の魔法使いだ」
 そう答えたあと、カルメはずずっとホットミルクをすすった。砂糖が入っているのか、ほんのりと甘い味が口内に広がる。甘党の彼はなんとなくちいさな幸せを噛みしめた。

「大体の事情はさっきイオニアくんから聞きました。失礼な態度をとってしまってごめんなさい」
 コンレイは丁寧に謝罪する。慌ててカルメは机の上に新聞を置き、顔の前で手を振った。
「いやいや、こっちこそ誤解させるような真似をして悪かった。イオニアの着替えだけじゃなく、飲み物まで用意してくれてありがとな」
「あなたたちも立派なロッジのお客さんですからね。最大限のおもてなしです」
「そりゃ嬉しいな。さて、イオニアも戻ってきたことだし本題に入ろうか。……と、その前に、コンレイに一つ確認しておきたいんだが」
「確認?」

 カルメとコンレイの近くに座ったイオニアが言う。当のコンレイも何のことかわからず首をかしげた。カルメは微妙に間を開けて、続く言葉を紡ぐ。

「ベリルさんって、人間じゃないよな?」

◆◇◆

「えっ? カル兄何言って……」
 戸惑うイオニアをよそに、コンレイははっきりと返答した。

「はい。ベリルちゃんは人間ではありませんよ」
「だよなあ。おおかた、地上でプラシオさんと会うときは変身魔法を使って人間の姿に擬態してたんだろう」
 カルメは落ち着き払ったまま、再びホットミルクに口をつけた。イオニアは状況を呑み込めずコンレイとカルメのほうをぽかんと見つめる。そんなイオニアに気が付いたのか、カルメは自らの考えをかいつまんで説明した。

「人間の恋人は人間、っていう先入観に囚われてちゃダメだったな。よーく思い出してみろよ。プラシオさんはベリルさんのことを一言でも『人間だ』って言ってたか?」
「確かに、言ってなかったかもしれない……」
 イオニアは今までのことを思い返してみた。言われてみれば貴金属店でプラシオとベリルのことについて話したときも、彼は自らの恋人のことを一度も『人間』とは言っていなかった気がする。

「けど、人間じゃないとも言ってないよ! どうしてプラシオさんは、自分の恋人の種族について隠すような真似をしたのさ?」
「それは、ベリルさんが今も少なからず迫害されてる種族——セイレーンだからだろう」
「せいれーん……」
 あくまで推測に過ぎねーけど、と付け加えてカルメは言う。今までの認識から180度転換された事実を前にして、イオニアは気の遠くなるような思いで天を仰いだ。

「よくお分かりですね、カルメくん。ピンポンです」
「ピンポン?? ま、まあとにかく、プラシオさんとベリルさんが臨海公園で出会ったってのは多分本当だ。しかしそん時プラシオさんは人間、ベリルさんはセイレーンの姿だった。セイレーンはまだまだ偏見の目で見られることも多い種族だ。ベリルさんは、変身魔法で人間に擬態しながらプラシオさんと会ってたんだろうな」
 コンレイの操る独特な言葉遣いに若干気おされながらも、カルメは説明を続ける。

「残念ながら僕は使えねーが、変身魔法は水魔法の一種だ。そしてこの魔法は、魔力の消費がとんでもないらしい。ずっと魔法をかけっぱなしってわけにもいかねーから、家にいるときはあのでっかい水槽の中で本来の姿に戻っていた。で、プラシオさんへ会いに行くときにその都度魔法をかけ直してたんだろう。だからベリルさんの家と、あとプラシオさんにも高濃度の水魔力がこびりついてたんだ」
「プラシオさんにも?」
 イオニアが復唱した。ベリルの家に水魔力が溢れていたのは知っていたが、プラシオにも魔力がついていたのは初耳だ。

「多分変身魔法を使った状態で会ってるうちに移っちまったんだろうな。恋人と長く一緒にいると香水の匂いが移る、ってのと理屈は一緒だ。おかげで最初、プラシオさんも魔法が使えるのかと勘違いしちまったぜ」
「だからあの時、プラシオさんに宝石魔法を薦めてたんだね」

◆◇◆

「そうそう、宝石魔法といえば……ベリルさんはアクアマリンの首飾りを肌身離さず持ってたらしいな。この意味、気になるよな?」
 どこか挑戦的な笑みを湛えてカルメは言い放つ。既にすべてを見通しているような、自信に満ちた態度のカルメに対して微妙にイラっとしたイオニアはたまらず彼に突っ掛かった。

「もったいぶってないでさっさと教えてよ。変なところでカッコつけようとするの、カル兄の悪い癖だよ」
「おい、ストレートな悪口はやめてくれ。結構効くから……!」
「カル兄は三枚目ぐらいが一番似合うよ」
「追い打ちやめろ!」

 イオニアの二言で一気に調子を崩されたカルメは、気まずそうにマグカップへと手を伸ばす。冷めた目つきのイオニアとあたたかい目つきのコンレイに見守られながらぐいっと冷めかけのホットミルクを飲み干すと、仕切り直しとばかりに語調を強めて話を再開した。

「とにかく! ベリルさんの正体が分かったのはいいが、問題はなんで失踪したのかだ。この記事を見てみろ」
 カルメは先ほど机に置いておいた新聞を広げ、小さな記事を指さした。
「なになに、『水底へと消えたカップル 心中か』この記事に何の関係があるんですか?」
「このカップルが失踪したあらまし、どこかで見覚えがないか?」

 コンレイとイオニアは肩を寄せて記事を覗き込む。カルメの言葉に思考を巡らせたイオニアがはっと声をあげた。
「『早朝に全ての私物と共に彼女が失踪。黄昏時、後を追うように彼氏も失踪。翌朝、浜辺には彼氏の服の切れ端が浮かんでいた』って、この記事の彼女とベリルさんの失踪状況が全く同じだ!」
「僕が今朝その記事を読んだとき、セイレーンのうち悪意を持った奴らは他の種族を海に引き込んで溺死させることがあるっていう噂を思い出してな。もしかしたらベリルさんも、そいつらのようなセイレーンなんじゃないか? っていうのが僕の推理だ」
 ふう、と息を吐いて話を締めるカルメ。

「まさか……! ベリルちゃんがそんなことをする子だなんて信じられません。あの子は確かにセイレーンだったけど、そんな素振り、一度も」
 コンレイはうろたえた。言葉を途切れさせながらも、何とかカルメに反論しようとする。対するカルメはいたって冷静に窓の方を見つめて返答した。

「勿論、可能性があるってだけの話だ。だから、それを今から確かめに行こうぜ」
 彼の視線の先では、傾き始めた太陽が力強く赤い光を放っていた。