9.太陽が沈む前に

「転移先は臨海公園でいいんですね?」
「ああ。もうすぐ黄昏時だろ?もしも本当にあの新聞記事の通りに事が運ぶとしたら、プラシオさんはセイレーンの歌に引き寄せられて入水しちまうだろう」

 まだ太陽が沈み切る前。表へ出たカルメたちは、コンレイへ転移魔法の使用を頼んでいた。行き先はプラシオとベリルが初めて出会ったという臨海公園である。
「でもなんで臨海公園? やっぱり思い出の場所だから?」
「まあそうだ。初めて会った場所ってことはベリルさんの主だった活動場所に近い可能性が高いし。といっても、ぶっちゃけカンの部分も大きい。恋愛は理屈じゃ説明つかないことばっかだからなー」
 ぽりぽりと頭を掻くカルメ。根っからのロジカル人間である彼は、珍しく自信なさげに答えた。

「魔法の準備ができました。行きますよ?」
 集中して魔力を練っていたコンレイが声を上げる。彼女がゆっくりと瞬きした次の刹那、カルメたちは件の臨海公園の地面を踏みしめていた。

「さんきゅ。マジで便利だよな、転移魔法」
「どういたしまして。一応公園の入り口に転移したので、浜辺までは500メートルほど歩きますね」
 コンレイはそわそわと辺りの様子を伺った。港町であるレストールの町の臨海公園は、その広さと浜辺の美しさで観光客に人気のスポットだ。いつもならこの時間帯はまだいくらか人がいるはずなのだが、今は閑散としている。ふと、彼女はぴりりと妙な感覚を覚えた。微かに聞こえたメロディが頭の中へ入ってきた瞬間、意識が遠のきふらりと脚がもたつく。

「あ……」
「おっと、大丈夫か」
 ぐいっとカルメに肩を掴まれ、なんとかコンレイは体制を持ち直す。彼の声ではっと意識を戻した彼女だったが、依然として妙な感覚は続いていた。

「ハーピーの耳は感度がいいな。こんな遠くからでも聞こえるのか……『テネブラエ』」
 カルメが呪文を唱えると、程なくして三人を囲むように半球状の薄い壁が現れた。彼らが移動すると壁も同じように移動するようで、常に半球の真ん中にカルメたち三人がいるような形になった。

「何これ?」
 初めて見る謎の壁を恐る恐るつつくイオニア。彼の指は壁をすり抜けて、いとも簡単に向こう側へ突き出された。
「音由来の催眠魔法を防ぐ防御魔法だ。セイレーンは催眠魔法の込められた歌で船乗りたちを海へと引きずり込む、って聞いたことあるだろ?」
「じゃあ今コンレイさんがふらついたのって」
「恐らくそういうことだろう。ちっ、思ってたより早いな……コンレイ、もう平気か?」
「はい、ありがとうございます……」

◆◇◆

 コンレイが回復したのを見届けて、カルメはそっと彼女の肩にかけた力を弱める。そのまま逆の手のひらを地面の方へ向けたかと思うと、いきなりずいいっと彼らの真下にあった土がせりあがった。慌てるイオニアも乗せて、地面の高度はずんずんと上がっていく。3メートルほどの高さでゆっくりと動きを止めたそれは、大きな岩石の塊を身体の中心に据えてそこから岩の連なる四肢を伸ばした魔法生物、ゴーレムであった。

「よぅし、全速前進! 一応転倒防止のためにてっぺんをお椀型にしたけど、勢いあるから振り落とされんなよ?」
「えーっ!? いきなりこんなの作ってどうしたのさ!」
「事態は一刻を争う。ちんたら歩いてる場合じゃねぇ!」

 ゴーレムの頂上でいつになくハキハキと答えるカルメ。そうしているうちにもゴーレムは浜辺へ向かってずんどこ進んでいく。イオニアは揺れる地面に負けないようしっかりとゴーレムの縁に捕まり、地上を注意深く観察した。次々と変わっていく景色のなか、やがて太陽の残照に照らされてきらきらと輝く海が目に入る。

「あっ、あそこ! プラシオさんじゃない!?」
「あの海の中にいる子……ベリルちゃんです!」

 イオニアとコンレイがほぼ同時に声を荒げる。浜辺には、今にも海に沈んでしまいそうな人影とそれを手招きする半人半魚の影が揺らめいていた。

「間一髪だな。『テラ=アクア!』」

 カルメがゴーレムの上から呪文を叫ぶと、人影の周りの海水が跡形もなく消え失せた。と同時に、人影の足元の土がゴーレムとなって彼を連れ去る。カルメたちが乗っていたゴーレムより幾分か小さなその土くれは、プラシオを抱きかかえて大きなゴーレムの方へひょこひょこと歩いていった。

「イオニア、催眠解除の魔法を頼む。それぐらいの応急手当はできるよな」
 イオニアにそう言い残し、カルメは海の中で放心しているベリルの方へ向かった。コンレイとイオニアも大きなゴーレムから降りてちびゴーレムからプラシオを受取り、慎重に地面へ寝かせる。役目を全うしたちびゴーレムは、音も立てずにただの土へと戻っていった。

「イエッサー! えーっと草魔法の呪文は……」
「ヘルバですよ、イオニアくん」
「ありがとコンレイさん。『ヘルバ』」

 しかしイオニアが唱えた魔法は、どこに行くでもなく空中で霧散してしまった。
「あれ? 俺、とうとう応急処置の魔法すら使えなくなっちゃったかな」
「これはもしや……」
 コンレイが何か言おうとしたとき、プラシオの首がゆっくりと彼らの方を向く。彼は存外しっかりとした声色で、微笑みながらこう言った。

「だいじょうぶ。ボクはもう催眠になんてかかってませんよ」