「カルメくーん! 御在宅かい!?」
がさがさ、と探偵所の庭の芝生を上等なブーツで踏み荒らす音がする。庭の井戸から繋がる地下室で魔法の実験をしていたカルメは、聞き慣れない声に首を傾げながら地上へと顔を出した。
「お前は……エヴィア?」
「そうだよ、天才錬金術師エヴィア・セフェリアディスさ。——って、自己紹介なんてしてるヒマはないんだ! 大変、大変なんだよ!」
カルメの目の前で端正な顔を歪めているのは、以前女神像の騒ぎで少女のハートをがっちり奪った罪作りな男だ。確かイオニアの故郷、マーレディア王国から旅行に来ていただけで、このローレスタ共和国の人間ではなかったはずだが。
「どうしてここにいるんだ? もうとっくにこの国から引きあげたと思ってたぜ」
彼の問いに、エヴィアはにっと口元に弧を描く。
「実は僕の恋人が民族学者でね。この町の話を彼女にしたら、『そんなに色々な種族が暮らす町があるなんて興味深い!』 と言ってフィールドワークをしたがったんだ。だからうまい具合に丸め込んで、見事! この町で! 同棲に! 漕ぎつけたのさ!」
「あ、そう……お前なんか前会った時とテンション違って気持ち悪いな……」
「そうかい? 僕はいつも通りさ——って、だから僕の話を聞いてくれたまえよ!」
「ああ、そうだったな。依頼か?」
「うん。僕らは丁度三日前に引っ越ししてきたばかりで荷ほどきの真っ最中なんだ。けれど、その忙しさに気を取られてしまって……ミケがいなくなってしまったんだ!」
「ミケ?」
「そう、ミケ。可愛いかわいいもふもふのミケ。初めて来た土地だからはしゃいじゃったのかなあ……僕も引き続き探してみるけど、もしカルメくんもあの子を見かけたら教えてくれ!」
「わ、わかった」
矢継ぎ早に言いたいことだけばばっと伝え、去って行くエヴィア。残されたカルメは怒涛の情報を脳内で処理しながら、ふと、元気にひとりごつ。
「依頼って要するに……ただの猫探しかよ!!!」
◆◇◆
一方その頃。イオニアとキールは騎士学校の野外修練所にて、剣術の試合をしていた。三セットほど打ち合ったのち一旦休もうということになり、今はちょうどいい岩に座りながらのんびりと水分補給をしているところである。
野外修練所はその名の通り騎士学校の建物の外にあり、周りは林に囲まれていた。時折鹿やリスなどの野生動物も姿を見せるので、動物好きのイオニアは休憩の度に自然へ目を向けるのが日課であった。
そんなイオニアとは対照的に、キールは夢中になってごくごくと水を飲んでいる。手持無沙汰になったイオニアがふと林の方を向くと、木々がさらさらと音を立てた。
彼がその音に心を安らげ、ゆっくりと瞬きをしようとした、その瞬間。
「……!?」
ぬうっと林の中に真っ黒な物体が出現したのだ。こちらに近づくにつれて大きくなっていくシルエットを見て、イオニアは喉を細めながらキールへ呼びかける。
「キ、キール、あれ……」
「ん? ……な、なんだあれ。魔物か!?」
迷わず臨戦態勢に移行したキール。しかし、彼は謎のシルエットが近づくにつれて剣の切っ先を下ろしていった。尚も慌てるイオニアに向かって、キールはふにゃりとした笑顔を向ける。
「大丈夫、こいつはただの犬っころだぜ」
「……え。犬?」
「おう! ちょっと待ってろ」
そう言ってキールは剣を地面へ無造作に置くと、そうっと黒い物体に近づいていく。そして見守っていたイオニアの目の前に、真っ黒な毛皮を持った大きめの犬を抱いて差し出した。
「毛並みも良いし、よく見たら首輪もついてる。きっとこの町の誰かの飼い犬だろな」
「へえ……うわあ、かわいい! ふわふわしてる!」
かくしてイオニアとキールは、時間を忘れて意外な訪問者をモフるのであった。
◆◇◆
「あー! 見つけましたよ、三毛ちゃん!」
「ほんとか~?」
カルメは上空をふわふわと低空飛行しているハーピー、コンレイに声をかける。彼女は聞こえているのかいないのか、大きな木の上で震えていた三毛猫をそっと抱き上げ自らのショルダーバッグへと入れた。そのまま地面へとゆっくり着陸し、三毛猫を両翼で抱く。
「ふわっふわで可愛い三毛猫ちゃんですねえ。カルメくんもなでなでします?」
コンレイはそう言って木の上から救出した三毛猫をカルメの方へ近づけたが、当のカルメはコンレイが近づいた分だけじり……と後ずさりした。
「どうしたんです、カルメくん。ほらほら猫ちゃんですよー」
「い、いや。ちょっとそれ以上近づけないでくれ。僕、その、えっと」
しばらく妙な攻防を続けていた彼ら。しばらく経ったのち、コンレイは合点がいったように呟いた。
「なるほど。カルメくんって、動物が苦手なんですね」
「苦手じゃない! ちょっと何故か動物に好かれづらいだけだ!」
「こちらが動物を怖がってたら、動物の方もどう接すればよいかわからなくて怖がってしまうものですよ。そんな感じでよく猫ちゃん探しの依頼を受けようと思いましたね」
「悪気なさそうに嫌味言われるのが一番堪えるな。まあそれはいいとして、早くエヴィアのところに連れて行こうぜ」
「そうですね。さっきカペラちゃんにエヴィアくんのおうちの場所を聞いておいたので、早速向かいましょう!」
◆◇◆
「かわいい……!」
「ふわふわ……ふあふあだ……毛がなげえ……」
依然として黒犬を撫で続けていたイオニア達。さっきまであんなに怖がっていた彼らだったが黒犬は存外大人しく、満足そうに尻尾を立てていた。キールが黒犬の耳を後ろをふにふにしてやると、くぉんと甘えた声を出す。彼は顔をほころばせながら黒犬と戯れていたが、ふと呟いた。
「それにしても、こいつ。黒妖犬なんだな」
「黒妖犬?」
イオニアの問いに、キールはなおも黒犬を撫でながら続ける。
「別名魔犬、もしくは妖精犬。まあ要するに妖精の犬だよ。俺の実家でも飼ってるんだ」
「ああ、だからそんなに犬にでれでれなんだね……」
見るからに蕩けた顔で黒犬を愛でているキールを見つつ、逆に冷静になってしまったイオニアはそう言って苦笑した。永遠にも思えるほどの時間、キールはただひたすら黒犬と二人きりの世界にトリップしていた。が、その静寂を破ったのは透明感のある澄んだ声だった。
「あら、ここにいたのね」
騎士学校の校舎の方から歩いてきた声の主は、薄紫のロングヘアをスマートに後ろで括った若い女性だ。見る者に華やかな印象を与える目元はキールが撫でまわしている黒犬へと視線を注いでいる。
彼女の存在に気が付いた黒犬はぱあっと赤い瞳に光を宿し、ふわふわの毛皮を風に揺らしながら駆けてゆく。どうやらこの黒犬の飼い主らしい。
「こんにちは、俺キールって言います! めっちゃくちゃ可愛いワンちゃんっすね!」
「ふふ、ありがとう。君も犬好きなのね」
女性は可愛らしく微笑むと、傍らの黒犬の毛を優しく指で梳く。どこか浮世離れした不思議な印象を受けつつ、イオニアは彼女に問いかけた。
「こんにちは、イオニアです。俺たちはここの騎士学校の生徒なんですけど、貴方は……?」
「申し遅れたわ、私はテセル。来週からこのレストール騎士学校で教鞭を執る予定のしがない研究者よ」
「えっ、先生!? し、失礼しました!」
慌てて身だしなみを直すキールを見て、テセルはふっと口元を緩ませながら言う。
「いいのよ、気にしないで。今は校長先生と打ち合わせをしに来ていただけで、まだ正式には先生ではないのだし。むしろこっちがこの町のことを教えてほしいくらいだわ、まだ道も満足に覚えられていないのよね」
「俺たちで案内しますか?」
冗談めかして言うテセルにイオニアはそう申し出たが、彼女は黒妖犬を愛おしそうに撫でながら微笑む。
「お気遣いありがとう。でも、今はうちのわんこが連れてってくれるから大丈夫よ。この子、私の守護黒妖犬なの。まだ引っ越しの片付けが終わっていないから、お先に失礼するわね」
◆◇◆
「ごめんくださーい! エヴィアくん、三毛ちゃんを連れて——」
「ほんとうかい!?」
「きゃっ、いきなり開けないでくださいよ。ミケちゃんがびっくりしちゃいますよ」
「おや、君は……ハーピーかい? すごいな、実際に会うのは初めてだ」
「おい、僕抜きで勝手に進めるな」
どんどん進行する会話劇にストップを入れたのはカルメだ。なんでも、エヴィアはミケが帰巣本能で帰ってきていないかと一旦自宅に戻っていたらしい。そこへ丁度コンレイ達がミケを連れてやってきたというわけだ。
「あはは、ごめんごめん。良かったらあがっておゆきよ。もうすぐ僕の恋人も帰ってくると思うしね」
ぜひ会わせたいんだ! とテンション高めに独り言ちたエヴィアは、完璧なエスコートでコンレイを客間へと案内した。その後ろにカルメも続く。彼から出された紅茶に口をつける前に、コンレイはうずうずした様子でエヴィアに三毛猫を差し出した。
「はい! 可愛いですねえ、この三毛ちゃん」
「本当だ。探偵所のお手伝い猫かい? かわいいね」
てんてんてん。両者の間に、何とも言えない間が生まれる。しばしフリーズしたコンレイとエヴィアだったが、先に再起動したのはエヴィアの方だった。
「……あ。言っていなかったけど、ミケは犬さ! ねこちゃんではないよ!」
「い、ぬ? いぬって、犬?」
横からカルメも素っ頓狂な声で参戦する。「は?! 犬?!」
「そう。引っ越してくるとき、恋人が妖精の友人から餞別として譲り受けた妖精の犬さ。僕は専門外だからあまり生態を分かっていないんだけど、もふもふで可愛いことだけは事実だよ」
「い、いぬ……ですか……」
「にゃあん?」
コンレイの手に抱かれた三毛猫は、彼女の言葉へ呑気に返事をした。どうやらこの子はミケではないらしい。いや、三毛猫ではあるが。
と、そこにタイミングよくこの空気を霧払いする声が響いた。
「ただいまー。あら、お客様?」
「おかえりテセル。……あれ?! ミケ!? 一緒だったのかい?」
エヴィアが「ミケ」と呼んだのは。
「ええ、そうよ。私一人で出かけようとしてたんだけど、ついてきちゃったみたい」
テセルと呼ばれた女性の傍らに控えている、もふもふでふわふわの、黒犬だったのだ。
◆◇◆
「そう。私の愛犬、ミケは守護の黒妖犬なのよ。旅人の後を一定の範囲内でついて歩いて、野盗や魔物の襲撃から守護してくれるの。こちらに引っ越して来る前にドッグブリーダーをしている妖精の友人から譲り受けたの」
「でも、なんで『ミケ』なんていう名前なんですか? わたしてっきり三毛猫ちゃんのことかと思っちゃいました」
コンレイの問いにテセルは得意げに答える。
「ある古代文明の名称から拝借したの。かわいいでしょ?」
「可愛いけどややこしいよ……」
コンレイから三毛猫を手渡されていたイオニアは、猫を抱きながらそう呟いた。ならば、この子はきっとただの野生の猫なのだろう。
そんなイオニアから少し離れたところで腕を組み、しかめ面をしたカルメが言う。
「おい、エヴィア。お前悪戯で依頼してきたのか?」
「そんなわけないじゃないか! 僕とテセルが自宅で荷解きをしている時は確かにいなくなってたんだ!」
「……もしかしたら。エヴィアくんがテセルちゃんと一緒に居たから、テセルちゃんを守る必要がないと思って町の散策をしていたのかもしれませんね。わんちゃんって、信頼する相手はとことん信頼しますから」
「え、そう……なのかい?」
エヴィアの問いかけに、ミケはくぅんと手短に鳴く。
そんな中、カルメはひとり。
(また、また……恋愛オチかよ!)と心の中でつぶやくのだった。
〈了〉