人は本当に悲しいとき、涙が出ないのだと知った。
『葬式だってのに、目の一つも腫らさないなんてカルメくんは薄情な坊ちゃんね』
遠い親戚だか近くの知人だかがぼそりと言った声を、僕の耳は馬鹿正直に拾う。対して関わりのない他人が言ったことなんて無視しておけばよいのに、まだ純真さの欠片が残っていた十三歳の僕は、その言葉を口の中で延々咀嚼し続けていた。
僕の両親は、死んだ。
二人揃って海の向こうの外国へ行く途中で、乗っていた船が魔物に襲われたらしい。「お土産は何がいい?」と、きらきらした目で話しかけてくる母の表情を、「一人で留守番だが、きちんと食事は摂るんだぞ。勉強ばかりして生活をおろそかにしないように」と、僕のことを心配してくれた父の表情を、僕はまだ忘れられない。
なまじ、遺体が残っていなかったのがまずかった。僕の中の記憶は、それぞれ元気で朗らかな両親の顔で止まっている。もう決して更新されることはない。なかなかどうして、彼らが死んだという実感が湧かなかったのだ。
悲しいものは悲しい。だってもう会えないのだから。けれど、この『会えない』は、彼らがほんの一週間出張で家を空けるだけの『会えない』にしか感じられなかった。
「ただいま」
玄関の隣に急造でこさえた石の標に声をかけ、僕は自らが主となった屋敷に入った。葬式の為に集まってきた親戚一同もほぼ帰路へつき、ようやく一人で眠れる、初めての夜だ。
廊下をひたひたと歩く。何も言葉を発する必要はない。だって、もう返事は来ないのだから。
二階の奥にある自室に戻ると、机に置いていた僕の手帳がいつの間にか開かれていた。中途半端なページに、豪快な書き文字が残されている。おおかた、父がふざけて書いたものだろう。
ごくり、と息を飲む。読むか、迷ったのだ。
これを読んでしまったら、きっと、父との新しい思い出はもう出てこない。読まずにいれば、父は今でも僕の観測範囲外で悠々と存在していられるのではないか。
冷静な理性はそう考える。しかし、矢も楯もたまらない僕の身体は、反射的にそれを覗き込んでしまっていた。
『あっちに着いたら葉書を送るよ。俺たちの方が早く帰ってくるかもしれんが、な!』
それを見た瞬間、僕の中で何かがぶつりと切れた。
声は出ない。
涙も出ない。
喉がひりついて、ただ肩を、指先を、震わせていた。
◆◇◆
「カル兄って、旅行に行ったらいつも自分宛に葉書出してるよね。普通に持って帰ればいいのに」
「わかってないな。旅先の消印が付くのがいいんだろうが」
土産屋で菓子を物色するイオニアへ、僕は半分適当に返事を返す。
あれから六年。十九歳になった僕は、あの日両親がたどり着けなかったローレスタ共和国へ移り住み、なんだかんだで慎ましく暮らしている。
ひとつ変わったことといえば、僕の人生の中で『葉書』が大きな意味を持つようになった。昔の父のように旅先から葉書を出し、昔の僕のようにそれを自宅で受け取る。父がどんな気持ちであの手帳に書置きしたのか、そして、もしそれが叶ったとしたら、僕はどんな気持ちで受け取ったのか。
今はもう実現し得ない遠い記憶に、少しでも歩み寄れたら。そこに押されるであろう消印が、ただの印ではなく、生きているしるしのように思えて仕方がない。
何気ない調子で振る舞いながらも、僕は手にした葉書をじっと見つめていた。
ひねくれて育った僕が外に出すには照れくさいぐらい純粋な想いを、そっと胸の奥底で大事に抱えながら。
「この絵葉書にする。イオニア、会計するから選び終わったら商品籠貸せ」
『薄情』ぶって、地に足つけて、生きていくのだ。
〈了〉
