翌日の昼。学校は休みなので客も少なく、正直言ってとてもヒマだ。今日は俺を含めて従業員は二人しかいないが、それでも充分回していけるほどの過疎っぷりと言えばその虚無さが伝わるだろうか。
もう一人のバイト従業員であり、俺の友人でもあるキールはのんびりと商品の検品をしている。可もなく不可もなく、といった特徴のない真っ黒な短髪に灰色の瞳、と一見地味な外見の人間だが、その中身は泣く子もドン引くえぐい歴史オタクだ。彼も俺とは出身国こそ違うが同じ交換留学生なのでなんとなく連帯意識というか、親近感を感じている。
昨日と同じようにカウンターに陣取っている俺は、彼のゆるい仕事ぶりを横目に見つつ暇つぶしに売り物の雑誌を読んでいた。
武器屋の新作片手剣のレビューをチェックし、次はどの商品を買うか真剣に品定めする。学生の身ではそうぽんぽんと新しい剣を買うことはできないため、じっくりと時間をかけて自分が納得出来るような至高の一本を狙うのだ。
教会の加護を纏った、死霊系の魔物に強い剣。草刈り鎌のようにぎゅいんと刀身が反っている、植物系の魔物に強い剣。針のように細い刀身で、急所を突くことに特化した刺突剣。どれも魅力的な剣だが、すべて買おうとしていたらあっという間に貯金が底を尽きてしまう。悩み疲れた俺は姿勢を正し、雑誌を一旦ぱさりと閉じた。
「あの、すみません」
ふと頭上から、何度か聞いたことのある中低音が下りてくる。顔を上げると、いたって普通の男性が立っていた。年の頃は三十から四十ぐらいだろう。決して若いとは言えないが、シンプルながらも品の良い装飾の付いた燕尾服に身を包み、切れ長の青い目に加え丁寧に整えられた髪は男の俺から見ても男前の部類だと断言できる。
上質そうな仕立ての麻袋を片手に持っているものの、生憎それはここの商品ではない。では何をしに来たかというと——
「この五十ゴールド硬貨を、千ゴールド紙幣に両替していただきたいのですが」
「か、かしこまりました。少々お待ちください」
男は麻袋の口を開け、なるべく不要な音を立てないようにゆっくりと丁寧にカウンターへ置いた。俺は突然の申し出にぎょっとしたものの、すぐに気を取り直して麻袋から硬貨を取り出す。一、二、三四……うん、きちんとぴったり二十枚だ。数えた硬貨を釣銭箱にじゃらじゃらと流し込み、紙幣の入った箱を開けた。なるべく折れのない綺麗な紙幣を取り出し、相手に手渡す。それを受け取った彼はてきぱきと一礼して何も買わずに去ってゆく。紙一切れ分軽くなった紙幣の箱と硬貨二十枚分重くなった釣銭箱を交互に見比べながら、俺はふう、と息をついた。
——まただ。俺はカウンターの上に置かれた卓上カレンダーをちらりと見た。土魔法で作られたキューブカレンダーのうち、曜日を表す石は『土』と書かれている。この男が前に同じことを頼みに来た時も、この石は『土』の文字を浮かび上がらせていたはずだ。
「お。今日も『両替男』のお出ましか」
「あ、キール。もう検品は終わったの?」
「ばっちり終わったぜ。今日は商品の仕入れも少ないし」
いつの間にか一仕事終えていたキールはどっかりと俺の隣の椅子に腰かける。彼の左手にはちゃっかり歴史学の教科書が握られていた。恐らくこの空き時間で予習してしまおうという魂胆だろう。要領の良いクラスメイトはぱらりぱらりと本のページをめくりつつ、俺に向かって雑談の種を投げかけた。
「さっきのお客、先週も先々週も来てたよなあ。やっぱりいつもと同じことしてた?」
「うん。今日も五十ゴールドを千ゴールドに替えていったよ」
「あのおじさん、何が楽しくてそんな面倒なことしてるんだろうな。五十ゴールド硬貨なんて集めるだけでも大変なのに」
「さあねえ……。ぶっちゃけ数えるのが大変だからあんまり来てほしくないんだけど」
「でも先週よりは手際良くなってたぜ。このペースでいけば、そのうちおまえは硬貨を数えるプロになれるかもな」
「そんな狭い業界でプロになりたくはないなあ……」
いつもと同じような調子でさらりと冗談を言うキールに半ば呆れながら、俺は先程の両替男のことを思い返した。
この店では、お金の両替を頼む客はそう珍しいものではない。
もちろんレストールの町にも銀行はあるが、どちらかというと銀行での両替は大きな金額の取り扱いがメインだ。個人商人や大きな商店の元締めなどが釣銭箱の小銭をどっさりと銀行に持っていき、嵩張らない紙幣の塊へ交換する。俺達のような庶民の両替はそこまで大がかりなものではないので、町中で金銭を扱う店ならどこでもオプションとして両替サービスも承っているのだ。
そういう事情で俺もバイトを始めて以来何度も両替の客に当たったことがあるのだが、先程来た客は数多い両替客の中でも特に異彩を放っていた。彼は毎週土の曜日になると、必ずこの店に両替をしにやってくる。金額はいつも一緒。持ってくる硬貨の種類も、両替先の種類も一緒。『五十ゴールド硬貨二十枚を、千ゴールド紙幣一枚に』だ。
毎週同じ麻袋の中に五十ゴールド硬貨を溜め込む奇妙な男。この人間の存在は、普段あまりこういった謎には惹かれない性質の俺にすら忘れ得ぬ印象を残していた。
なぜ土の曜日にだけ来るのか? なぜ十ゴールドでも百ゴールドでもなく、五十ゴールドなのか? なぜいつも千ゴールド紙幣に替えるのか? ひとつひとつは小さな謎だが、あげるとキリがない。
しかもおまけに、この男が現れるようになった時期と俺がここでバイトを始めた時期とがぴたりと一致するのだ。そのため、キールをはじめとしたバイト仲間の間では「イオニアが謎の『両替男』を召喚する魔法を使っている」だとか、「『両替男』の正体はイオニアの従兄が変装したものであり、彼は新人バイトのイオニアのために両替の練習をさせてやっている」だとかいう面白おかしい噂が飛び交っている。
そもそも俺は召喚魔法なんていう高度な魔法を使えるほど魔法学に精通してないし、両替の練習なんてわざわざさせてもらわなくても結構だ。だってお金を貰ってお金を渡すだけなのだ、こんなこと子供でもできる。……というか俺の従兄はあそこまで年食ってないし。
そんなこんなで、俺のバイト開始と同時に現れた両替男は購買従業員の間でここ最近のホットトピックとなっていたのだった。当事者である俺としては一刻も早く真相を暴き自身にまつわるくだらない噂を収束させたいのだが、いくら考えても両替男の正体と真意が読めずほとほと困り果てていた。
「キールはさ、あの人の目的はなんだと思う?」
俺はカウンターで頬杖をつきながら傍らのクラスメイトに問いかける。彼は読んでいる教科書から視線を外してこちらへ頭を向けると、顎に手を当てて考え込む仕草をした。
「うむ……おれとしては、あの人は硬貨のコレクターか何かだと睨んでる」
「コレクター? 硬貨なんてみんな同じじゃないの?」
「いやいや、全然違うだろ」
訝しむ俺をよそに、キールは近くに置いてある釣銭箱から無造作に二つの硬貨を取り出しかたり、かたりとカウンターの上に並べて置く。なんてことのない十ゴールド硬貨が二つだ。これらの硬貨や紙幣はここ、ローレスタ共和国の通貨である。
鈍い赤茶色の光を湛えた円い十ゴールド硬貨の中心には馬車の絵柄がかたどられており、その周りへ円形状に並べられた数字が硬貨の発行日を表している。右側に置かれた硬貨は万国暦一八四六年、左側に置かれた硬貨は万国暦一七六一年。双方の硬貨の違いといえばこれぐらいしかない。
「まさか、発行日が違うってこと?」
「そのとーり。おれたちみたいな歴史マニアの中には、自分の好きな偉人の誕生年とか、好きな歴史的事件が起こった年とかに発行された硬貨を集める奴らがいるんだ。この硬貨だったらそうだな……一八四六年は有名な魔法工学者のラムルハ・ベグが魔法道具の一つである通信機を開発した年だし、一七六一年は今も絶賛活躍中のベストセラー作家、ルリ・サトゥルノが生まれた年」
歴史マニアを自称するだけあり、キールは硬貨に書かれた年号に起こった出来事をすらすらと正確に言い当てた。俺も同じ授業を受けているのでたぶん習ったことはあるのだろうが、残念ながらその知識の大部分は既に記憶の奥底に沈み切っている。俺は彼の記憶力と歴史学への熱意に素直な賞賛の言葉を送った。
「流石キール。歴史学テストの無敗王者なだけあるね」
「さーんきゅ。ってことで、あの両替男は目当ての年号が印字された五十ゴールド硬貨だけを手元に残しておくために、外れの五十ゴールド硬貨をここで両替してるんじゃないか、というのがおれの考えだ」
キールは褒められてほんのり得意げにしながら話を締める。彼の推理には一理あると感心したが、ふと新たな疑問が浮かび上がってきた。
「でもさ、仮に両替男がそういう歴史マニアだとして、どうしてその人は数ある硬貨の中から五十ゴールド硬貨だけを集めてるのかな。そういう人って百ゴールドとか十ゴールドもまとめて集めたくなりそうだけど」
「それもそうだなあ。うーん、単純に五十ゴールド硬貨が好きだとか?」
「硬貨に好きも嫌いもないと思うけどな」
キールはぐぬう、と返答に困ったように顔を歪めた。俺も何かしらのアイデアを出そうと頭を捻ってみたが、そう簡単に革新的な案は浮かばない。かくして議論は行き詰まり、すっからかんの購買は再び静寂に包まれたのだった。