1.レストール教会にて

「では、これで本日の礼拝を終わります。信者の皆さま、お集まりいただきありがとうございました」
 黄緑色の長髪をさらりと流しながら、修道女は深々と礼をした。隣にいた牧師も軽く頭を下げ、てきぱきと後片付けのために礼拝堂から立ち去る。彼女が顔を上げたのち、礼拝堂に集まっていた人々がぞろぞろと教会から出ていく。
 そんな中、人の流れに逆流して進む人影が三つ。ここレストールの町の騎士学校に通う少年、イオニアを先頭にして、すぐ後を赤紫色の髪をした女性がついていっている。彼女はカペラ。この町の馬車引きだ。そして——
「カル兄、早く早く!」
 イオニアにそう呼ばれた青年が、彼らの背後を気だるげに歩く。彼の名はカルメ。この町の郊外で『ローシャ探偵所』という奇怪な事務所を開いている魔術師だ。カルメは立ちんぼで棒のようになった脚をぎこちなく動かしながら、イオニア達に続いていった。
 さて、彼らが今いる場所は荘厳なステンドグラスと厳粛な調度品に囲まれた教会、その礼拝堂の中だ。
 この世界で一番多く広まっている宗教の名はアルハローラ教という。この宗教の半年に一度の大きな礼拝が行われる、ということで信心深いイオニアは馴染みの教会を訪れることに。その話をたまたま聞いていたカペラは好奇心のまま「おもしろそうだからあたしも行く! カルメも来るわよね?」と半ば強引に同行を決め、対して信心深くもないカルメとカペラの二人まで教会へ足を運ぶ羽目になったのである。
 イオニアの故郷であるマーレディア王国にはアルハローラ教の聖地があるため、信心深い者が多いのだ。例に漏れず彼もアルハローラ教の敬虔なる信者である。
 しかしここレストールの町がある国はローレスタ共和国。ローレスタ出身のカペラにとっては馴染みの薄い宗教であり強い関心の対象となった、というわけだ。
 じゃあカルメはどうなんだ、というと、彼は一時期マーレディアに住んでいたことがあるものの出身地はケンドル王国というまたまた別の国。そんなわけで、彼ら三人のうちイオニアのみがきちんとした姿勢で礼拝に臨んでいたのであった。まったく、呆れた一同である。
 そんなわけで面白半分でついてきていたカルメとカペラとは違い、イオニアは礼拝の一部始終を真面目にこなしていた。それも終わってさあ帰ろうか、とカルメがさっさと教会の玄関へ足を向けたところを、イオニアはぐいっと袖を掴んで引き留める。なにすんだよ、ふらつきながら軽く文句を言うカルメに対して、イオニアは浮足立ちながら答えた。
「この礼拝堂には特殊な素材で作られた小さな女神像があるんだ! 礼拝の時にしか一般公開されないから、一度拝んでみたかったんだよね。見に行っていい? いいよね?」
 そう言って、返事も聞かずにわくわくしながら礼拝堂の奥へ向かっていった。イオニアによると、小さな女神像はその礼拝堂の奥に鎮座しているという。
 カペラも楽し気にイオニアへ着いていったがどうやら先客がいたようで、女神像の姿は猫背の男性の背中にすっぽり覆われて視認できなかった。彼は両手を黒い外套のポケットに突っ込んでいたが、やがて右手を出して女神像へ伸ばす。しかしそれを見かねた人影が彼に近づいていった。
 まだあどけなさの残る顔立ちをした背の小さい人間の少女だ。年は十二、三ぐらいであろうか。修道女の衣装に身を包んだ彼女は桃色の長髪に黒いカチューシャがよく映えており、とろんとした垂れ目の黄色い瞳が愛くるしい印象を与える。彼女はてこてこと男性のほうへ歩いていった。
「あのっ、女神像にお手を触れるのはおやめください」
 人がまばらになった礼拝堂では、そのちいさな声ですらよく響いた。女神像を握った男性が驚いて振り返ると同時に、カルメ達は教会に似つかわしくないものをその目に捉える。いつの間にか露出していた彼の左手には、ちらりと光るナイフが握られていた。
 彼は乱暴に女神像を手放すと少女へ向かって大きく左腕を振りかぶり、その手を振り下ろす——ことはなかった。イオニアが背後から彼の左手首を掴んでいたのだ。
 イオニアは右腕で男性の首をぐっとラリアットする体勢になり、同時に左手で彼の手首を捩じりつつ締め上げた。男性はたまらずナイフを握る力を緩め、からんと音を立てて刃は地面に落ちていく。
「カペラさん、警察呼んで! カル兄はこの子を俺たちから遠ざけて!」
「わ、わかったわ!」
 茫然としていたカペラはイオニアの言葉で我に返ると、慌てて返事をしてどたどたと教会から出ていった。近く彼女は警官を連れて戻ってくるだろう。
「大丈夫か?」
「は、はい。なんとか」
 カルメは少女に声をかけた。衝撃のあまり腰が抜けてしまったのか、へなへなと力なくその場にへたり込んでいる。カルメは一瞬迷ったのち、大理石の地面に向かって土魔法を唱えた。するとたちまち地面の石がぽこぽこと軽く沸騰するような勢いで盛り上がり、人間の子供と同じぐらいの大きさのゴーレムの形になる。ゴーレムはせっせと少女を背負い、礼拝堂の隅のソファに優しく腰掛けさせた。何故このような回りくどい対処をしているのかというと、ひとえに彼が女性一人背負えないような貧弱魔術師なためである。
 そのころ礼拝堂の奥ではイオニアと男性が尚も格闘を続けていた。
 イオニアは足元に落ちたナイフを咄嗟に蹴って遠ざけ、一旦男性をラリアットしていた右腕を離す。未だ掴まれたままの左腕を軸としてぐるりとイオニアの方へ向き直る男性。彼が動いた隙をついて、イオニアは自らの左腰に帯刀していた片手剣に手をかける。
「おいイオニア、流石に暴漢相手とはいえ剣を抜くのはまずいぞ!」
 カルメがそう叫んだのとほぼ同じ瞬間。イオニアは剣を抜刀すると見せかけ、その柄で男性のみぞおちをがつっと突いた。
「かはっ……!?」
 その行動がクリーンヒットしたようで、途端にイオニアのほうへ頽れる男性。イオニアは彼の両手を握りしめたまま嬉しそうに声を上げた。
「やった、確保! カル兄、何か縛れるものある?」
「あ、ああ……今教会の人に聞いてくる……」
 あまりの手際の良さに呆気にとられたカルメは、そう答えるのが精一杯だった。