8.その頃、教会では(一日目)

 さて、カルメ達のいない所で一体どのようなことが起こっていたのか。それをディルフィス達教会関係者の目線から、順々に見ていくとしよう。
 時は戻って一昨日の夕方。イオニア達が暴漢を捕まえて、教会から帰った後の話である。暴漢に襲われかけて腰を抜かしたカミーユを、ドロシアが診療所まで連れていっていた。時刻で言うと、午後四時頃の出来事である。
 大きな外傷はなさそうだったが、カミーユは修道女見習いであると同時にこの町有数の富豪の娘である。何かあっては今後の付き合いにも関わってしまう、というひりひりとした大人の事情も孕んでいた。
 とはいえ、ディルフィスにとっては彼女も年の離れた妹のようなものだ。彼は同性でもあるドロシアにカミーユの世話を頼み、レーニアと共に騒動の後片付けをすることにしたのである。
 そんなわけで教会に残ったディルフィスとレーニアは、共に礼拝堂にて礼拝の後片付けをしているところだった。ディルフィスは礼拝で使用した道具の片づけを、レーニアは暴漢騒ぎで荒れてしまった礼拝堂の奥の掃除を。ふとディルフィスは、床に転がっていた女神像を拾い上げ、じいっと見つめているレーニアに気が付いた。くるくると手元で女神像を回しながらそれを凝視する彼女を見て、ディルフィスは声をかける。
「どうしたんだい、レーニア。像に何か?」
「ええ……あの、これはひょっとしたら切り傷なのではないでしょうか?」
 そう言ってレーニアが彼に見せた女神像には右肩に切り込みのような傷が付いていた。ぱっと見ただけではわからないが、じっくり見ると違和感が感じられる。ディルフィスは面食らったものの、すぐに気を取り直した。というのも、修繕のアテが既にあったためである。
 この女神像は特殊な素材で作られているため、通常の方法では修繕することが出来ない。しかし、彼の故郷であるマーレディア王国で盛んな錬金術を用いれば、この女神像を修繕する薬を作ることが出来るのだ。
 そして丁度良いことに、故郷に残っている彼の弟は錬金術師の仕事をしている。弟に頼めば、修繕に必要な薬を調合してくれるだろう。
 そう思ったディルフィスはレーニアにその旨を説明して安心させると、教会の二階にある自身の私室に行って通信機を手に取った。
 通信機で押し慣れた数字の文字列を押すと、短いコール数で相手の声が出迎えてくれた。可愛い弟の元気そうな声にほっこりしつつ、ディルフィスは要件を説明した。
『はい、もしもし。どうしたの、兄さん?』
「やあエヴィア、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。ところでお前、今どこにいる?」
『いきなりどうしたんだい? ローレスタ共和国へ旅行に来ている最中だけど……いやあ、実は今日から婚約者と旅行の予定だったんだけど、彼女が急用で四日ほどこちらに来れなくなってしまってね。今は独り寂しく飲み歩いているところさ』
「ほう! 丁度良かった。宿代は俺が負担するから、明日から彼女と合流するまでレストールの町に来てくれないか?」
『えー、丁度良いって言い草はひどくないかい? 僕は彼女と会えずに淋しい夜を過ごす羽目になるというのに……』
「はいはい、惚気は後で聞いてやるから。実は俺が働いている教会に置いてある女神像に傷がついてしまってな、お前の作る武器軟膏で治してほしいんだ」
『へえ。僕の力が必要ってことだね? ふふふ、兄さんがそこまで言うなら仕方ないな~。今はノウセンの町にいるから、明日の昼頃には兄さんのいるレストールに着けると思うよ』
「ありがとう、助かるよ」
 その後互いの近況報告を兼ねて雑談を交わし、ディルフィスが通信機を切ったのは時刻にして午後五時前後。その後、彼が修繕の件についてレーニアに報告しようと一階へ降りると、丁度ドロシアに連れられてカミーユが帰ってきたところであった。
 カミーユは先程よりも幾分顔色が良くなっており、腰の具合もよさそうだ。安心したディルフィスはドロシアと少々言葉を交わし、その話の中でエヴィアの話題が出たのである。ドロシアも久々に次兄に会いたい、ということで彼女はエヴィアの案内役を買って出、話がまとまったところでドロシアは帰っていった。同じく勤務時間が終わったレーニアも見送り、教会にはディルフィスとカミーユのふたりが残される……と、ここまでが午後六時頃の話である。
 彼らはその後、夕食を取りながら他愛もない雑談をしていた。話題は専ら今日の騒動についてだ。
「カミーユ、身体の具合はどうだい?」
「ええ、おかげ様で快調に向かっています。ご心配をおかけしてすみません」
「いいんだよ、年下の世話を焼くのは年上の役目だからね。……そうだ、カミーユ。明日はお客が来る予定なんだが、もてなしはできそうかい?」
「お客様ですか? はい、大丈夫そうですが……どなたですか?」
「実はさっき、レーニアくんがあの女神像の肩に切り傷が着いているのを見つけてね。僕の弟なら錬金術で治すことが出来るから、明日あいつに来てもらおうと思っているんだ」
「れんきんじゅつ……?」
 耳慣れない言葉だったのか、カミーユは右手のフォークを止めてぎこちなくディルフィスの言葉を復唱した。彼はふっと口元に笑みを浮かべながら説明する。
「ここの国の人には馴染みが無いと思うけど、俺達の故郷の国ではメジャーな学問だよ。物と物を掛け合わせて新しい物を造り出すんだ」
 そうなのですか、と薄めの返答を返すカミーユ。さては信じていないな、とディルフィスは心の中で苦笑する。ならばと話題を切り替え、食卓を続けていったのだった。

★9.その頃、教会では(二日目・上) 2195
「レーニア、町の食材屋に行って林檎を買ってきてくれないか?」
 次の日。ディルフィスは出勤してきたレーニアに一風変わった仕事を割り振った。てっきりいつも通りの仕事だと思っていたレーニアは目をぱちくりとさせる。彼女は普段、雇われ修道女としてレストール教会で教務に勤しんでいるのだ。
「どうしてですの? ディルフィスさまがそのような仕事をお頼みになるのは珍しいですわね」
 レーニアが率直な疑問をぶつける。このようなことができるのも、ひとえにこの教会が風通しの良い職場であるゆえだろう。ディルフィスは口元を緩ませながら照れくさそうに笑った。
「ふふふ、実は今日来る予定の俺の弟はアップルパイが大好物なんだ。遠路はるばるやってくる弟を労おうと思ってね」
「成程。良いお兄さんですわね、ディルフィスさまは」
 レーニアもふわりと顔を綻ばせる。しかしその表情とは裏腹に、彼女はディルフィスの頼みを一蹴した。このようなことができるのも、ひとえにこの教会が風通しの良い職場であるがゆえである。
「けれどすみません。わたくし、今日のお昼はどうしても外に出たくありませんの。実は日傘を忘れてしまって……」
 そう言ってレーニアは赤い瞳を曇らせた。実は彼女は孤児であり、どうやらどこかで吸血鬼の血が混じっているらしい。純血の吸血鬼よりはマシなものの、太陽の日差しやにんにく、銀製品などに触れると軽いアレルギー反応のようなものが出てくる体質であるとのこと。これは彼女がこの教会へ赴任してきた時にディルフィスが聞いた話である。
 ならば仕方ない。ディルフィスはこの教会のもう一人の働き手に白羽の矢を立てた。
「カミーユ、君はどうだい?」
「はい、いけます」
 彼女はきりっとした声で答える。ここで働き始めた当初からは見違えたような頼もしい返事に内心ほろりとしつつ、ディルフィスはカミーユに買い物メモを書いて渡した。
「林檎とパイ生地と……ディルフィスさま、今日のおやつはアップルパイですか?」
「ああ。昨日言っていた俺の弟はアップルパイが好きでね。折角だし久々に俺の手料理を振舞ってやろうと思ったのさ」
 腕が鳴るぞー、とおどけて言ってみせるディルフィス。カミーユは柄にもなく浮き浮きしている牧師に物珍しさを覚えながらも、買い出しへ出発した。
 その後カミーユの身に起こったことは、カルメ達の視点で既に語ったとおりである。

 その後ディルフィスは、教会一階にある礼拝堂で一般の訪問客を相手に通常の業務へと勤しんでいた。
 礼拝堂の奥にましましているはずの件の女神像へは、一般客は誰一人として手を触れていなかったことは付け加えておく。レーニアがここへ出勤してきた朝九時頃に確認した時は、間違いなく女神像はそこに佇んでいた、とは彼女の弁だ。
「はい、呪いの治療だね。ではこっちへ……『ルクス』」
 彼が呪文を唱えると、ぽわぽわとした温かい光が礼拝客の男性を包み込んだ。やがてその光が消えると同時に、彼の身体から呪いの成分がすうっと消え去っていく。
「あっ、身体が軽くなりました! ありがとうございます……!」
「いえいえ。また冒険の途中で何かあったらすぐに寄るんだよ」
「はい、はい! ありがとうございます!」
 感激した様子の男性は、腰にかけた片手剣をかしゃかしゃと揺らしながら教会を後にしていった。玄関まで彼を見送ったディルフィスはその様子を見て、心底安心したように息をつく。
 この世界の牧師や修道女は、宗教の幹部としての側面の他に奉仕活動の一環として光魔法での冒険者への治癒なども行っているのだ。もちろん怪我の治療は専門家である医師には遠く及ばないが、魔法で付けられた傷や先程のような呪いへの対処は光魔法のほうが一枚上手である。
 そんなわけで、ディルフィス、そしてレーニアやカミーユも光魔法の専門家であるのだ。とはいえカミーユはまだ修行中の身ゆえ、あまり高度な魔法は行使できないが。
 噂をすれば影。どうやらカミーユが買い出しから戻ってきたようだ。彼女は林檎を沢山詰めた紙袋を両腕で大事そうに抱え、大きな肩掛け鞄をその小さな身体にかけている。カミーユは礼拝堂にディルフィスの姿を見つけると、とてとてと駆け寄ってきた。
「ただいま帰りました、ディルフィスさま」
「おかえり、カミーユ」
 二人して挨拶を交わし、辺りは和やかな雰囲気に包まれる。ふとカミーユはそんな雰囲気を自分から打破するように、ディルフィスへ声をかけた。
「ディルフィスさま、少しお願いをしてもいいですか?」
「なんだい?」
「この林檎の入った買い物袋を、台所へ持っていって欲しいのです。私は少し、ここでお祈りをしておきたくて」
 カミーユは時々、こうしてひとりきりでお祈りをしたがる癖があった。ディルフィスは恐らくそれだろうと納得し、カミーユから袋いっぱいの林檎を受け取る。
「台所まで持っていってくださったら、ご自分のお仕事にお戻りになられて構いません。どうか、お願いします」
「ああ、わかったよ。ゆっくりお祈りしておいで」
 ディルフィスはとんとんと階段を上がり、台所の机へ林檎を置きに行った。その帰りに丁度階段を上がってくるレーニアとばったり会い、ニ、三言の言葉を交わした後に礼拝堂へ戻っていったのだった。