5.土砂降りの中で

 次の日の朝。長旅の疲れからか、三人そろって朝寝坊した一行は眠たい目を擦りながら博物館へと向かっていた。昨日の快晴はどこへやら、現在の天気はバケツをひっくり返したような雨である。カルメとイオニアは人間ふたりがすっぽり収まる一本のこうもり傘を共同で差し、コンレイは水色の可愛らしいレインコートに身を包んでいた。水でぬかるんだ地面は、ただでさえ重い足取りの一行の足をさらに重くさせる。

「新聞には今日の予報は晴れって書いてたじゃねーか。ここの天気予報担当大丈夫か?」
「しょうがないですよ。天気予測の魔法は風魔法のなかでも難しい方なんですよ。例えるなら、光魔法でいう透明化魔法と同じくらいです」
「ふうん。土魔法で例えるとでかいゴーレムを一体作るぐらいか? 結構大規模な魔法なんだな」
「へえ、そうなんだ」

 ぶつくさと文句を言うカルメを諫めたのはコンレイ。あまり魔法の得意でないイオニアは、わかったようなわからないような、微妙な相槌を打つに留めた。

「けど、よりによって予報の外れた先が雨なのはアンラッキーですね。雨の日は翼が重いし雨粒が痛いしで、飛べないから嫌いです」
「なるほど、ハーピーらしい理由だな。僕は雨の日の後には良質な粘土が採れるから好きだぞ。アレ、土魔法の実験に最適なんだよな」
「うーん、俺は雨はあんまり好きじゃないなあ。なんか室内もじめじめしてるように感じて憂鬱になるんだよね」

 三者三様の雨談義をしつつ、一行は舗装された道を歩く。生憎の天気であるが町の中にはそれなりに多くの人々が歩いていた。流石に城下町なだけあるな、とイオニアは感心した。

「ほら、あれが王立博物館だ」

 カルメが指差した先には、古めかしい建築様式で建てられた大きな建造物……の後ろ姿。二階建ての建物の外観には、ベンチや花壇が備え付けられた緑あふれるガーデンテラスがあった。彼らは博物館の後ろ側から敷地内へ足を踏み入れ、回り込むように入り口へと向かう形になる。

「あれ? あの人、何してるんだろう」
 ガーデンテラスに目を奪われていたイオニアは、一階の外壁の周りをうろつく人影を見つけた。黒い影は外壁の上、ガーデンテラスの方を見上げて不規則に動き回っている。やがて博物館に近づくつれ人影は大きくなり、その輪郭も鮮明になっていった。雨に濡れた黒い羽毛がつやつやと光っている。赤茶色の髪を短く刈り上げて、何かの制服のようなかっちりとした服を着こなしている。鳥でもあり、人間でもある影の正体は、壮年のハーピーの男性だった。

「あのひと、わたしと同じハーピーですね。探しものでしょうか」
「確かに言われてみれば、何かを探してそうな感じだね。ちょっと俺声かけてくる!」
「あっおいイオニア、傘から出んなよ!」

 言うが早いがイオニアはカルメとの相合傘から飛び出し、濡れるのも構わずハーピーの元へ駆けていく。カルメはワンテンポ遅れて走り出しイオニアを再び傘に入れた。対してマイペースなコンレイは特段急ごうともせず、歩く速度を全く変えずにのんびりと彼らを追いかけた。

「どうしたんですか?」
「うわあっっ!?」
 ハーピーの背中越しに問うと、彼はびくりと肩を震わせ悲鳴をあげる。過剰にも思える驚き具合に面食らったが、イオニアはなんとか相手に落ち着いてもらおうとにこやかに話を続けた。

「驚かせてごめんなさい、なんだか困ってそうだったので声をかけちゃいました。もしかして探し物ですか?」
「あ、ああ……でももういいんだ」
 びくびくと周りを気にしながら、ハーピーの男性は早口でそう言い残してその場から離れていった。もういい、と言った割に、帰り道での彼の視線は度々テラスへと注がれている。

「あれ、もうお話は終わったんです?」
 取り残されたカルメとイオニアの耳に鈴を転がすような声が響く。ようやくカルメ達の元へたどり着いたコンレイだ。

「終わったっつうか、強制終了させられたっつうか」
 困ったように頭を掻くカルメ。結局ハーピーの彼を助けるどころか、逆に怖がらせてしまう結果となってしまった。一行は心に微妙な引っ掛かりを残しつつも、再び博物館の入口へ歩みを進めていったのだった。

◆◇◆

 やはりこの大雨では客足も遠のくのだろうか、イオニアが想像していたよりも人の通りは少ない。しかしそれにしても、町中に比べて少なすぎる。もしかして……と嫌な予感を抱いた彼の前にダメ押しするように現れたのは、博物館の扉の真ん中にどんと貼られた『本日臨時休館』の貼り紙だった。

「そんなあ、せっかくここまで来たのに……」
「やってないもんはしょうがねえ……けど、なんで休館してるんだろうな? 今日って祝日だったか?」
 カルメの疑問に答えたのは聞きなれない低音の声だった。

「申し訳ございません、お客様。実は今朝、本博物館で厄介な事件が起こってしまって。その後片付けと犯人捜しのため、事件が解決するまで休館させていただく運びとなっております」
「な、なるほど? ……あの、おじさまはここの職員さんですか?」

 コンレイが訝し気に訊ねると低音の主ははっとした顔になり、改めてカルメたちに自らの身分を明かした。彼の名はジャヌレ。ここ、ケンドル王立博物館の館長らしい。人間で言うと初老ぐらいの外見だが、斜め上にぴんと伸びた両耳は彼がエルフであることを示している。

「これはご丁寧にどうも。ところで、さっき言ってた『厄介な事件』って、具体的にはどのような事件でしょう?」
 探偵としての意識を刺激されたのか、カルメは館長ににじり寄る。ジャヌレはカルメの勢いに気圧されながらも、かいつまんで概要を説明した。

「はい、お客様にお聞かせするのも恥ずかしいのですが、今朝とある展示物が盗難被害に遭うという事件が発生しました。たまたま居合わせた探偵さんが事件の解決に当たって下さったのですが、今度はその探偵さんが何者かに殺される、という痛ましい事件が起こったのです。しかも不可思議なことに、盗まれたはずの椅子は再びこの博物館に舞い戻ってきたのです。いま憲兵の方々が総力をあげて犯人の捜索に当たっていらっしゃるのですが、中々目星が付かない状況で……」

 ううむ、と唸ってジャヌレは俯き、考え込む仕草。彼の話を聞いたイオニアとコンレイは目を瞠り、同じタイミングで顔を見合わせた。カルメ以外に『探偵』を名乗る人物がいたとは初耳だ。そもそも探偵という職業自体、カルメが古い書物から見つけてきたマイナーな古典職業であり、現在の社会においては正式な職の一種として認められていない。そのため、一般の住民はほとんどその存在さえ知らずに生活しているはずだ。少なくとも、イオニア達が普段暮らしているレストールの町ではそうだった。

「カルメくん、この国では探偵ってお仕事はメジャーなんですか?」
「いや、そんなはずはないと思うが……」

 当のカルメも困惑顔である。一方で、ジャヌレはコンレイの『カルメくん』という言葉を聞いた瞬間にがばっと目の前の青年へ向き直った。

「も、もしや貴方様は、あのアイセル王子をお助けしたという探偵、カルメさんですか!?」
「え!? はい、僕はカルメですが……」
「おお、まさかこんなところで本物にお目にかかることができるとは! わがケンドル王国では、カルメさんは知る人ぞ知る密かな有名人ですぞ」

 ジャヌレはいつの間にかカルメの両手をがっしりと掴み、ぶんぶんと上下に大きく振った。彼も満更ではないようで、その手を振りほどくようなことはせず「そ、そうですか……」と困りつつもその表情には明らかな照れと喜びが見える。だが、『知る人ぞ知る密かな有名人』とは一部の界隈で知られているだけで、結局のところ別に有名ではないのでは? イオニアはそう思ったものの、彼はきちんと空気の読める人間なので口に出すことは控えた。

 カルメの有名度具合はともかく、ジャヌレによるとこのケンドル王国では『探偵』という職業の認知度は幾分か高いらしい。カルメが以前この国の王子直々の依頼を引き受けて無事に完遂したためだろうか、とイオニアは推測した。そういえば彼、アイセル王子は以前『我が国でもカルメくんのことを宣伝しておくよ』と手紙にしたためていたはずだ。
 やがてジャヌレは興奮を収めると、相対している探偵にひとつの依頼を申し出る。

「ここでお会いしたのも何かの縁です。カルメさんに、是非この事件を解決していただきたいのですが」
「勿論いいですよ。一連の謎は、僕が完璧に解いてみせましょう」

 褒めそやされて上機嫌なカルメはどや顔で気取った台詞を吐く。この探偵の数多い欠点の一つは、普段は冷静なくせしておだてに滅法弱い所であろう。

「カル兄、すっかりテンション上がっちゃって……」
「大丈夫ですかねえ、カルメくん」

 イオニアとコンレイは、ジャヌレに連れられて博物館の中へ入っていくカルメの背中へ呆れ半分、期待半分の眼差しを送る。そのまま彼らの後に続いて、ひとけのない博物館へ足を踏み入れていった。