13.白日の下に

 ううっ、眩しい。ガーデンテラスに出たイオニアを出迎えたのは、燦々と照りつける太陽の光である。いつの間にか雨も雲もすっかり退散し、昨日と遜色ないほどのよい天気になっていた。彼はたまらず一番近くにあった日陰に避難する。この陰を形作っているのは、傍に立っていた大きな吊り下げ旗だ。日陰の真ん中にはあの『魔王の椅子』が妖しい存在感を放ちながら佇んでいたが、流石にイオニアはそれに座るほど厚顔ではない。椅子との間にそれなりの距離を保ちつつ、その近くに並び立った。

 ふと人の気配を感じて横を見ると、そこにはなにやら難しそうな顔をして腕を組むカルメの姿。彼が事件の関係者をこのテラスに呼び集めたのは、今から数分ほど前のことだ。勿論、イオニアもその中の一人としてテラスという舞台に立っている。その他の役者はコンレイ、目撃者のキール、警備員のイームズとアロン、憲兵のローエ、そして館長のジャヌレ。ローエは吸血鬼だからか、上品な装飾の施された日傘を差している。

「さて。皆さんにお集まり頂いたのは他でもない、事件の真相を白日の下に晒すためです」

 全員が集まったことを確認すると、カルメはわざと気取ったような言い回しで一座に語りかける。いかにも自分が敏腕探偵です、という雰囲気を纏おうとしているが、イオニアはカルメが台詞を言い終わる直前、だらしなく口元を綻ばせたのを見逃さなかった。なんだかんだ言って、憧れの中の探偵と同じようなことができて嬉しいのだろう。俗っぽさの抜けきらない従兄に親近感を覚えつつ、イオニアも彼の芝居に乗ることにした。

「カル兄はさっき『ライトさん殺しの犯人が見つかるのも時間の問題だ』って言ってたよね。それってどういうこと?」
「百聞は一見に如かず。まあ見てろって」

 微妙に答えになっていない返答を返したカルメはイオニアの目の前を悠然と通り過ぎ、日陰に陣取る『魔王の椅子』の方へと歩み寄った。一同が、特にジャヌレが固唾を呑んで見守る中、彼は椅子の前で右足を浮かせ——

「おっっらああ!!!」

 ——ブーツの足裏で思いっきり椅子を蹴り押した。「起きろ、このやろー!」

 その場にいた誰もが血の気を引かせて見守る中、椅子は仰向けにのけぞりながら突き飛ばされる。その勢いのまま、テラスの何もないスペースへがたり、と大きな音を立ててぶっ倒れた。

「なにやってんのさカル兄!?」

 かくして、『魔王の椅子』は読んで字のごとく白日の下に晒された。イオニアは慌てて椅子を起こしにいこうとしたが、どうやらその必要はなさそうだ。太陽の光を浴びた椅子は誰の手も借りず、自らの力のみで迅速に体勢を整えた。
 なあんだ、結構根性あるじゃんか。イオニアは一瞬感心しかけたがすぐに事の異常さを認識する。——椅子が自分で動いた!? 一体どういうことさ、これ!

 突如として自律しだした椅子は、背もたれにある二本のツタをぐぐんと伸ばしてカルメへと襲い掛かる。しゅるしゅるしゅる、と嫌な音を立ててカルメの細っこい身体へ巻きつこうとしたが、彼は織り込み済みといった様子で焦りもせずに呪文を唱えた。

『アクア』

 瞬間、椅子だったものの時間だけがぴたりと止まる。『魔王の椅子』は瞬く間に全身を冷凍され、躍動感のある氷像と化した。めいっぱい伸ばした二本の太いツタに、自立歩行に使われるようになった四本の脚。クッション部分は普段通りなだけに、殊更変形した部分の異様さが強調されている。カルメはまるで美術商のようにこの氷像を見せびらかし、ギャラリーに向かって昂然と告げた。

「さあ皆さま。これが今回ライトさんを殺害した元凶、『魔王が椅子として使っていた魔物』です」

◆◇◆

「カルメくん、これって……」

 コンレイは言葉も出ない、といった様子である。キールやローエは勿論、アロンやイームズなどの博物館関係者でさえこの事実に驚き立ちすくんでいた。

「見ての通りさ。この椅子は確かに『魔王が生前使っていた椅子』だが、その正体はただの骨董品じゃなくてれっきとした魔物植物だったんだ」

 一方イオニアは、昨日カルメから借りた本の記述を思い返していた。あの本のコラムの冒頭には《古い魔物は太陽の光が直接照りつけている間しか活動しなかった》と書かれていたはずだ。そしてさっき椅子がひとりでに動き出したのは、日陰に置いてあった椅子をカルメが無理やり日向へと蹴っ飛ばしてからだ。つまり、この魔物も太陽の光の下でしか活動できない古い魔物植物なのだろう。魔王戦争時代は今から数百年ほど前だ、辻褄も合う。

「そんな……我が博物館は今まで魔物を展示していたというのか……」
 ジャヌレは脱力しきって独りごちた。ローエはふと疑問に思い彼へ問いかける。
「館長さんも椅子が魔物だって知らなかったの?」
「はい、あの椅子を王宮から借り受けた際には何も知らされませんでした。他の国宝と同じような扱いでしたので、けだし国宝担当者の方も本当のことはご存じなかったのでしょうな。ああ、あんなに魅力的な芸術品だったのに……」

 彼は口惜しそうに魔物の氷像を見つめた。椅子としての造形はいまや見る影もなく、もはやこれに『芸術品』としての価値はなさそうだった。せいぜい、『魔物の綺麗な死体サンプル』としての価値があるくらいだろう。カルメはその氷をとんとん、と軽く叩きながら説明を再開した。

「この椅子は、魔王を討伐した勇者であるケンドル王メーラレンが戦利品として王城に持ち帰ったものでしょう。彼は美術品収集家としても有名でしたからね。彼は椅子を直射日光に当てて運ぶなどという野暮なことはせず、きちんと段階を踏んで丁寧に城の宝物庫へと持ち帰った。そのおかげでこの魔物は魔王が倒されてから今朝に至るまで、百年間ずっと休眠状態になっていたと考えられます」
「なあ、休眠ってなんだ? 冬眠とは何か違うのか?」

 つん、と肘でイオニアの身体をつつくキール。彼はこそりとイオニアに助けを求めた。
「休眠っていうのは、生物の活動とかが一時的に停止、もしくは停止に近い状態になることだよ。自分の周りを取り巻く環境が生存に不適な状態になると、この休眠状態になる生物も多いんだ。ちなみに冬眠は休眠の一種だね」
 どちらかというと理系なイオニアはすらすらと解説。なるほど! と納得したキールは彼に礼を告げ、再びイオニアと共にカルメの推理へ耳を傾けた。

「休眠状態から元に戻るためには生物によっていろいろな条件がありますが、こいつの場合は強い直射日光に当たることでした。先程僕が椅子に日の光を当てたのは、こいつを休眠状態から復活させるためだったという訳です。では、このツタを見てみてください」

 カルメは氷像の上部を指差す。その先では、二本のツタが彼の上体へ巻きつこうとする途中で固まっていた。
「これらは丁度僕の首の辺り目掛けて伸ばされています。的確に急所を狙ってくる辺り、腐っても魔王の配下です。もしあと十秒対処が遅かったら、僕はたちまち首を絞められて死んでいたでしょうね」
 さらりと背筋の冷えることを言ってのけるカルメ。ローエは苦々しい表情で氷像へ近づきツタを観察した。

「君の言いたいことは分かったわ。このツタが、ライトさんを殺した『太いロープのようなもの』ってわけか」
「その通り。ツタの表面を見てみると、ところどころ引っ掻いたような痕があることが分かります。恐らくライトさんが今際の力を振り絞って抵抗したのでしょう」
「でも、どうして椅子がライトさんを殺してしまう羽目になったんですか?」
 コンレイは首を傾げた。ライトはあくまで盗まれた椅子を取り返そうとしただけの探偵だ。それがどういう因果でテラスに移動し、あまつさえ殺されなければならなかったのか。

「そりゃあ理由は一つ。ライトさんがこの椅子をテラスに……つまり日の光の下に持ってったからさ。数百年ぶりに直射日光を浴びた椅子はさっきみたいに休眠から覚めて、近くにいた相手を無差別に攻撃し出した。それに運悪くやられちまったのがライトさんの運のツキだ」
「ライトさんが? もしかして、私がローエを呼びに行ってる間に椅子を取り返してくれてたってことですか……!?」
 イームズは敬慕の念で声を震わせ、今は亡き探偵に思いを馳せる。しかしカルメはすげなく首を振った。

「いや、その逆です。そいつは探偵でも何でもない。ライトさんこそが、『魔王の椅子』窃盗犯なのですよ」