2.コーヒーと紋章と

「……やれやれ。こんなに早くばれてしまうとはね。彼が言っていたことは本当のようだ」
 アイセルと呼ばれた黒衣の人物は、観念したようにフードを脱ぐ。現れたのは、涼しげな金色の瞳に黄緑の髪を持つ上品な若者だった。

「え? どういうこと?」
「先程靴の裏側に付いていた土に魔力を通して、ここ数日の貴方の道筋を調べさせていただきました。それによると貴方はケンドル王国から船でこの大陸に降り立ち、昨日このローレスタ共和国に足を踏み入れた」
「でもそれだけじゃこの人が王子さまだって分かんなくない!? 普通にケンドルからの旅人かもよ!?」
 いきなり衝撃の事実を告げられたイオニアはうろたえながらカルメに反論する。

「ああ、まだ少し足りない。けどその鍵のひとつは、他でもないイオニア、お前の出したコーヒーだぞ」
「コーヒー……」
「初歩的なことだぜ、ワトソンくん。あれのパッケージを持ってきてくれるか?」
「う、うん」
 まだ要領を得ないイオニアはふらふらとキッチンへ消える。しばらくして持ってきたパッケージはシンプルで、表に商品名と小さなマークがついているだけの簡素なものだ。

「これがどう王子さまに繋がるのさ?」
「よーく見てみろ。そのちっちゃいマークはケンドル王室御用達を示す由緒正しい紋章だ」
「……え。そうなの?」

 そのマークは煌びやかな剣と盾を中心に、大きな斧、不思議な形の両手杖、神秘的な槍が周りにあしらわれている。一見バラバラなモチーフだが、うまくそれぞれが調和してきれいな一つの紋章の形になっていた。
「カルメくんの言うとおりだよ。この紋章は、ケンドル王国の建国当初に制定された国章さ」
 カルメの代わりにアイセルが答える。イオニアはようやく合点がいったらしく、物珍しそうに紋章を眺めていた。

「他にも色々あるぜ。アイセル様が履かれている革靴は旅人のそれとは思えないほど傷も泥もついてないし、指には貴族の子息に特有のペンだこができてしまっている。特に王族、それも王位継承権を持つお方となると勉強しなければいけない事柄は盛り沢山だ」
 ひとつ、ふたつ、と指折り数えて列挙されるそれらは、たしかに目の前の人物が王子であることを証明するに足りうる事実だ。

「な、なるほど……」
「ま、紋章はケンドル出身じゃなきゃ普段見る機会もないし。お前が知らなくてもおかしくはないな」
「そっか。そういえばカル兄はケンドル生まれだったっけ」
「といっても昔の話だ。今じゃケンドルにいる知り合いなんて数えるくらいしか居ないな」
「カル兄もいろいろあったもんねぇ……」
 イオニアはしみじみと言った。

「いろいろ?」
 興味を惹かれたらしいアイセルが思わず声に出す。しかしカルメは「説明するのに時間もかかります、またの機会にでも」とすげなくかわしてしまった。要するに、説明するのは面倒だ、ということである。
「僕は今ケンドルじゃなくてローレスタにいる。とりあえずそういうことです」

 探偵所があるこの場所は、ローレスタ共和国の首都レストールの町だ。世界中から腕利きの冒険者が集まるこの町では、彼らの集う酒場に厄介ごと(例えば魔物退治や稀少アイテムの採取依頼など)が持ち込まれることも多い。その土地柄に目を付けたカルメは育った国を離れ、レストールの町外れにあった戸建て付きの土地を購入してあっという間に探偵所を設立したのだ。
「それにしても、隣国の王子さまがどうして俺たちの探偵所に?」
「実はだね……」
 アイセルはイオニアの問いをうけ、ぽつぽつと語り出した。

◆◇◆

 アイセルの言い分はこうだ。今は、自分たちケンドル王家の面々と自分の婚約者である貴族の一族とでお忍びの旅行をしている最中だということ。しかしお忍びとはいえ王族の旅行は護衛に囲まれ、とても自分で自由に町を歩けるような状況ではないこと。
 そして、そんな旅行に嫌気がさした彼は自分自身の目で等身大の市井の風俗を体感してみたい! と思い、ここを訪れたということ。

「……単刀直入に言うと、今日一日私と一緒に町を回ってくれないか?」
 せっかく旅行から抜け出せたとしても、必ず護衛隊が探しにくるだろう。せめて一日だけでも王家の呪縛から逃れて、ただの旅人として扱われてみたいというのがアイセルの望みだった。

「鬼ごっこから逃げ切るのを手伝ってくれってことか」
 ふむう、と独り言のように呟くカルメ。難しい依頼だが、できないと言えば探偵の名が泣く。
「わかりました。引き受けましょう」
「本当かい!? ありがとう、恩に着るよ!」
 それまであまり表情を動かさなかったアイセルが、ぱああっと目を開きキラキラさせる。

「報酬は後払いで結構です。イオニア、まずは服屋に行くからよろしく頼むぞ」
「はーい!」
 イオニアは準備のため自室へと戻っていく。特に用意することもないカルメとアイセルはそのままリビングで座っていた。
「あとひとついいかい?」
「どうしました?」
 ケンドル王家御用達ブレンドをひとくち喉へ通らせ、カルメが答える。

「その敬語、ここにいる間は使わなくていいよ」
「え」
 カルメはがちりと身体をこわばらせた。行き場を失ったコーヒーカップはぴたりと空中に静止する。
「私にだけ敬語を使っていたら目立ってしまうだろう? 普通にあの少年に対して接するような、砕けた口調で構わないよ」

 あの少年、とはイオニアのことだろう。今はもう住んでいないとはいえ、祖国の王子に対してタメ口などもってのほか。適当な理由を付けてまたかわそうとしたカルメだが、早くも準備を終えて帰ってきたイオニアの言葉で完全に逃げ道を塞がれてしまった。
「いーんじゃない? 俺はイオニア! よろしくね、アイセルさん!」