5.その名はせせらぎ

「よぅーし! 次は酒店通りだー!」
 高らかに少年の声が響く。
「お前はまだ飲んじゃダメだからな」
 じとりと青年が釘を刺す。

「分かってるよ、でもこういうのって見てるだけでも楽しいじゃん」
「そうだね。ラベルひとつひとつのデザインを見ているだけでも、そのお酒に込められた想いが伝わってくる」
 イオニアが口を尖らせながら言うと、アイセルも微笑みながら同意した。ここレストールは世界中から様々なお酒が集まってくる酒の町だ。道端に並ぶ酒店も多種多様な銘柄のお酒を取り扱っており、酒豪にとっては天国のような場所である。
 彼らはそのままずばり『酒店通り』と名付けられた、酒店の並ぶ大通りをのんびりと歩いていた。

「アイセル様は酒類をお飲みに……じゃなかった、酒なんて飲むのか?」
「私はワインを少し嗜む程度だけれど、城の兵士たちがよく酒場に行くのを見かけるな。特に獣人族の者はほぼ毎日のように飲んでいるようだ」
「ふーん、ここと大体一緒だな。この町で一番大きい酒場がある宿屋も、ヒトと獣人ばっかだぜ」
「でもやっぱりここは旅人の国だからね。冒険者のエルフや吸血鬼の人もいるよ!」

 イオニアの言葉を聞いたアイセルがぱっと顔をあげる。
「冒険者の集まる場所か……少し寄ってみたいな」
「おっ、じゃあさっき言ってた酒場のある宿屋に行ってみるか? あそこは昼からやってるはずだ」
「いいねいいね! 俺も喉乾いてきたし」
「じゃ、決まりだな。ちょうどこの通りの最後にある、『せせらぎ亭』ってとこだ」

◆◇◆

「『せせらぎ亭』? なあに、それ」
 一方その頃サリムは、獣人と人間が往来する大きな通りで呼び込みの女性に声をかけられていた。

「この通りの先でやってる、この町一番の大きな酒場が自慢の宿屋です! お姉さんの好きなお酒もきっとありますよ」
「この町一番……と、いうことは、やはりたくさんの人がいるのね?」
「もっちろん! しかもお姉さんみたいに綺麗な人が来店してくれたら、さらにもっとたくさんの男性客が来ちゃうかもですね!」
「そ、そうお? ふふふ……」

 呼び込み女性の調子のよいおだてにすっかり乗せられたサリムは、彼女についていくことにしたようだ。
(たくさん人がいるってことは、もしかしたらアイセル様もいるかもしれない。本人が居なくっても、目撃情報なんかが集まってるかもしれないわ)
 心の中で言い訳をしつつ、サリムはうきうきと女性についていった。

◆◇◆

 アイセル達が扉を開けると、町中とはまた違った喧騒に包まれる。大きな丸いテーブルがいくつも置かれており、その多くを冒険者たちが囲って談笑していた。

「すごい……ここが酒場か……!」
「アイセルさん、人酔いしないようにだけ気を付けてね」
「ああ、ありがとうイオニア君」
「おーい、こっちにも酒をくれ。とりあえず今日のおすすめを二杯、ミルクを一杯だ」
 カルメはさっさとテーブルにつき、給仕に声をかけた。隣のテーブルでは人間の冒険者であろう、剣士と騎士に武闘家、そして僧侶が料理に舌鼓を打っている。反対のテーブルでは獣人の戦士たちが豪快に酒をあおっていた。

「本当に人が多いな。木を隠すなら森の中と言うし、ここなら見つかる可能性も低そうだ」
「だといいけどなぁ。酒場は情報収集にもってこいの場所だ、アイセル様の捜索隊がここによる可能性も高いぜ」

 カルメ達は今日のせせらぎ亭おすすめの一杯、『オーガころし』を味わいながら一休み。まだまだ成人していないイオニアはミルクを飲んでいる。
「どうだー? 魔物も酔わす魅惑の逸品だ。一応悪酔いしない程度に抑えてくれよ」
 少し頬を赤らめたカルメが言った。
「けっこう辛口だね……」
 ちょっぴり中身の減った杯を置きながら、アイセルは息を吐く。彼が王宮で飲んでいたまろやかなワインとは違う、力強い味が彼の舌を刺激した。

「その辛口とか甘口とかいうの、未成年にはさっぱりわかんないんだけど」
「あと数年先のお楽しみだな」
 カルメはイオニアの背中をばん、と叩いた。イオニアが顔を歪めて抗議しようと振り返ると、カルメの真後ろに見知らぬ戦士が近づいてきているのが見えた。

「よう嬢ちゃん、ガキと冴えない男なんて置いといてオレと遊ぼうぜ?」
(嬢ちゃん?)
 ここにはイオニアをはじめ男三人しかいないはず。誰に向かって言っているんだろう? とイオニアが訝しんでいる間に、ガラの悪い戦士はカルメの肩に手をまわす。
「おい、嬢ちゃんって僕のことか?」
 見るからに機嫌を損ねたカルメが戦士の腕を乱暴に剥がした。酒が回って顔を紅潮させたカルメは、生来の女顔と相まって女性に見えなくもない。

「おうよ。勝気なボクっ娘たぁいい属性してるじゃねぇか、ますます気に入ったぜ」
 しかし戦士はそうやすやすとは引き下がらなかった。
「ちょっとおじさん! 俺をお子様呼ばわりするなんてどういうつもりさ!」
 イオニアはイオニアで、子供扱いに気分を害して戦士に詰め寄る。しかし戦士は少年のことなどまるで気にしない。カルメを可愛い女の子と疑いもせず、戦士はなおも声をかけ続けた。
 いよいよ堪忍袋の緒が切れたカルメは、小声で呪文を呟く。

『トニトゥルス』

 次の瞬間。戦士の鼻先に現れたのは小さな、しかしばちばちと不穏な音を立てる電気のボール。
「僕はれっきとした男だ! これ以上近づいたら感電させるぞ」
「は? おとこ?」
 戦士は電気玉にたじろいで一歩引いたあと、目をぱちくりさせ素っ頓狂な声を出した。

「そうだ。なんなら今から男子トイレに行って証明してやろうか?」
 カルメはいたずらっ子のような笑みを浮かべて自身のズボンのベルトに手をかける。戦士はまさかの提案に身じろぎした。
「い、いや……野郎に興味はねぇ。邪魔したな」
 そそくさと去っていく戦士を尻目に、カルメは二杯目の酒をあおった。

「けっ、男女の区別もつかない奴がナンパなんかすんじゃねーよ」
「カル兄、酔ってるなー」
「びっくりした……すまない、助け舟を出してあげられなくて」
 アイセルが謝る。王宮では一生見られないであろうナンパの現場に立ち会ったのだ、無理もない。

「いーのいーの。こんなん繁華街じゃ日常茶飯事だし」
「そうそう。カル兄がナンパされるのも日常茶飯事」
「勝手に事実を捏造するな。まだ二、三回しかやられたことねーぞ」
「それでも数回はあるんだね……」

 もし一人だけでこの町を回っていたら、こういった町中特有のアクシデントに巻き込まれてもうまく対応できずに流されていたかもしれない。アイセルは改めて二人の同行者に感謝の念を抱いた。