8.僕が欲しいのは

「これですっきりした。ヴォルター先輩は僕の手紙を読んでアイセル様に探偵所を紹介した。脱走を見逃すだけでなく手引きまでしてたんだな」
「その通り! お前なら殿下を危険から遠ざけつつ安全に町ブラさせてくれると思ったんだよ。殿下が切手の準備をうっかり忘れてきちゃったから、可愛い女の子が個人でやってる、ジャンバラヤンだかサンジェルマンだか……そんな感じの名前の馬車運輸に頼んで特別に手紙を届けてもらったんだ。」
「なるほどー、だからあの手紙は切手も消印もなかったんだね」
 イオニアがうんうんと納得した。

「今日はプライベートな旅行だったのもあって、父上たちも大がかりな捜索隊は出さないと踏んだ。だからヴォルターに『私が一人で探してきますので捜索隊は結構です』と言ってもらって一日やり過ごそうとしたんだ。そして夕方の六時に町の広場にある噴水で落ち合って、ついさっきヴォルターに見つけられたように装って帰るつもりだったんだけど」
「サリム様が一人で飛び出しちゃったのは誤算だった」
 ヴォルターはがっくりと肩を落として言った。

「あれから大変だったんだぜ? サリム様までいなくなったって国王陛下に報告したら流石に雷落とされてさ。『何のためにお前とサリム嬢を同じ部屋で待たせたと思ってるんだ!』ってもーうカンカン。そもそもオレの主はアイセル殿下ただ一人だっていうのに」
「あの王様って怒ることあるんだな……」
 カルメは幼き日に見たケンドル王を思い浮かべた。ここにいるアイセルと同じく、常に穏やかな雰囲気を身に纏った優しげな王だったはずだ。

「普段大人しい人ほど怒るとコワいってのは常識だよ。ってなワケで、オレは半分ホテルから追い出されるようにして殿下とサリム様捜索の命を賜ったのさ。いちおう馬車をつけてくれたから移動は楽ちんだったけど、そもそもレストールの町に土地勘なんてないしほとほと困ってたんだ。殿下はカルメと一緒にいるだろうから特に心配してなかったんだけども、サリム様はたった一人で出て行っちゃったからなぁ」
「サリムさんがまさかそのような行動をとるとは。これは私の浅慮だった」
「ホントですよー。殿下も罪な男です」
 ヴォルターはアイセルの顔をちらりと見た。涼やかな目元にシュッとした鼻筋、父王譲りの柔らかな雰囲気。確かに世の女性を虜にしてしまうような甘いマスクだ。

「なあるほど。それでヴォルター先輩はサリムさん捜索を諦めて、事前に決めてたアイセル様との最終合流場所でくすぶってたのか」
「くすぶってたとはなんだ! オレは入れ違いにならないよう確実に殿下と会える場所で待ってただけさ」
「まぁカルメ君、あんまり責めないでやってくれ。ヴォルターが極度の方向音痴なのは君も知ってるだろう? 同行していた馬車の馭者の助けがあったとはいっても、あの噴水までたどり着けただけで奇跡だよ」
「あー、それは一理あるな」
「殿下ぁ、それ言っちゃいます?」
 フォローすると見せかけてとどめを刺されたヴォルターはへなへなと声をあげる。

「なにはともあれ、これで一件落着だね。あとは私とヴォルターが父上にがつんと怒られるだけだ」
「最初っから覚悟してたとはいえ、やっぱ怖いなー」
 悠々としているアイセルの横でヴォルターは顔をしかめて身震いした。ケンドル王の雷がどれほど強烈なものなのか、その態度からありありと読み取れる。

「カルメ君、イオニア君、今日は本当にありがとう。君たちのおかげで忘れられない一日になったよ」
 アイセルは右手を差し出し、カルメとイオニアそれぞれと握手を交わした。
「いえいえー。俺たちも面白い体験ができて楽しかったよ」
 イオニアはニコニコと答える。

「こちらこそ、ご依頼ありがとうございました。今回の報酬は後でヴォルター先輩に請求しておきますね」
 にっこりと営業スマイルをするカルメ。ヴォルターは突然の名指しに間の抜けた声を出した。
「え? オレが払うの?」
「当たり前だ。この一件の首謀者は先輩だろ」
「うーん、しゃーないか。いくら欲しいんだ?」
「ゴールドじゃなくていいんだ。僕が欲しいのは——」

◆◇◆

 からんころん。真昼の強い日差しを反射して黄金に輝いたドアベルがきらきらと瞬いた。
「はーい、今出まーす」
 とんとんと階段を下りながら、青年は右に垂らした横髪を揺らす。玄関には愛嬌のある顔をした若い女性が荷物の包みを持って立っていた。背後には立派な馬車が停まっている。

「お、カペラか」
「はあいカルメ。珍しく荷物が届いてるよ」
 カペラは手に持った荷物を掲げてみせた。彼女の顔より少し大きい、分厚い板のような形状である。
「さんきゅ。……はい、サイン完了」
「どーもー。キミも物と人の移動にはスマイル印のフォルデルマン運輸をよろしくね!」
「はいはい」

 用事を済ませたカペラはそそくさと自前の馬車の馭者台に乗り込み、ちゃっかり宣伝をして馬を走らせた。その後ろ姿を見送ったカルメは荷物を大事そうに抱えて書斎へと向かう。封を開けると、達筆な文字で書かれたメッセージカードが彼を出迎えた。

『先日は本当にありがとう。わがケンドル王国でも、君の探偵所をたくさん宣伝しておくよ。機会があればぜひイオニア君と一緒にケンドルへ来るといい。私もヴォルターも歓迎するよ』

「そうだな……近々あいつを連れて、ケンドルの家の墓参りにでも行くとするか」
 カルメは祖国に想いを巡らせつつ、同封されていた最新の魔術書を上機嫌で開いていった。

〈了〉