ばたん、という乾いた音と共に、しゃららん、と耳に新しい音が辺りに響きます。馴染みの配達先の玄関には、聖夜を祝う鈴付きのリースがぶら下がっていました。
ぎゅっ、ぎゅっ、と乗馬靴で雪を踏みしめ、彼女——カペラはいつものように自らの馬車の馭者台に乗り込みます。今夜は聖夜の前夜祭。グリーティングカードの配達のため、彼女はレストールの町中を愛馬たちと共に朝から奔走していたのです。彼女が操る馬車の轍が、ほどほどに雪の積もった町の中を不規則に彩ります。
カペラはだいぶ軽くなった郵便袋を覗き込みました。残りの配達物は枚数にしてあと四枚で、全て同じ宛先のようです。
「よし、最後は……カルメのところか」
二頭の馬に繋げた輓具をぎゅう、と引き締めると、彼女を乗せた馬車は薄暗い郊外の道へゆっくりと走り出していきました。
◆◇◆
「カルメー、いるー?」
申し訳程度の小さなリースが飾り付けられた探偵所の扉を、カペラはとんとん、とノックしてみます。建物の窓からはカーテン越しに淡い光が漏れているので在宅はしているはずですが、中からは何の反応も返ってきません。
そのまま郵便箱に配達してしまってもいいけれど、折角のグリーティングカードなのだから手渡しで受け取ってもらいたい。そう考えたカペラが思い切って玄関の扉に手をかけると、同時にからんころんとドアベルの音が辺りにこだましました。
家の主もこの音でようやく来客に気が付いたようで、カルメはがたがたと忙しなく階段を駆け下りてきます。
「はい、こちらローシャ探偵所で——ってなんだ、カペラか」
「カペラちゃんのフォルデルマン運輸でーす。依頼人じゃなくて悪かったわね」
きりりとした敬語で応対しようとしたカルメでしたが、相手がただの友人だと分かると露骨に態度を崩します。カペラは手早く配達物を取り出すと、彼の腑抜けた鼻先につっと突きつけました。
「はい! これ、聖夜のグリーティングカード。ちゃんとお返ししなきゃだめよ?」
にこっと笑ったカペラの向かいで、カルメはがちっと表情を強張らせます。この反応はもしかして。不審に思ったカペラは、じろりと目つきを鋭くさせて口を開きました。
「……用意してなかったの? グリーティングカード」
「完っ全に忘れてた……やっちまった……」
「もー、変なところでアホなんだから」
しょげながらグリーティングカードを受け取るカルメを見て、ふとカペラはあることを思いつきました。目の前にいるのはちょっと困りごとのある未来のお客さん——こういうふうに追い詰められた人間は多少の無茶も押し通らせてくれるのである——です。これはいいビジネスチャンスではないか?! と。
「じゃあさ、明日の朝までにカードを用意してくれればあたしがそのまま朝一で配達したげるわよ? もちろん特別料金はいただくけど」
最後に早口で特別料金のことを付け足し、カペラは迷える子羊へと救いの手を差しのべました。なんともまあ、現金な救い主です。
しかし背に腹は代えられないようで、カルメは少し考えたのちに「仕方ねえ、頼む」と快諾。晴れて契約が成立しました。
「まいどありー! じゃあ明日の早朝に集荷しに来るわ。代金もその時でいいから」
カルメからの礼の言葉を前料金として受け取り、カペラはささっと馭者台に乗り込みます。そして先程と同じように輓具を引き締めたものの……馬車に繋がれた二頭の馬はうんともすんとも動きません。
「あれ? ハマト、ガデル、どうしたの?」
ハマトと呼ばれた栗毛の馬も、ガデルと呼ばれた青毛の馬も、カペラの声に対してすげなく首を振るのみ。二頭の馬はカルメの探偵所の前からてこでも動かなくなってしまいました。
「あらら……? ふたりとも虫の居所が悪いの?」
カペラは何とか愛馬の機嫌を取ろうと御者台の上から彼らの好物をぶら下げてみましたが、てんで効果はありません。
「具合でも悪いのか?」
カルメは二頭に近づいて瞳を覗き込んだり、耳元でなにかぼそぼそと呟いてみたり、口元へ耳を寄せてみたりと彼らの様子を確認してみます。やがて青毛の馬が大きくひと啼きするのを聞き届けると、カルメはふぅ、と口元を緩めました。最後にそっと二頭の頭を撫でてやり、彼らから離れます。
「どうやらこいつらは僕に用事があったらしい。といってももう用は済んだから大丈夫だ」
「へ? あんた、動物と話せる魔法なんて使えたの?」
カペラがそう言うのも無理はありません。普段の彼は闇魔法で怪しげな結界を作ってその中で魔法の実験をしたり、土魔法でゴーレムを量産したり、水魔法で溜まりに溜まった洗濯物をいっぺんに片づけたり……と色々なことをやっていますが、動物を手なずけたりしている場面は見たことがありませんでした。
怪訝な顔をしているカペラに向かって、カルメはふにゃりとした調子で返事を返します。
「おー、期間限定でな」
「なにそれ、意味わかんないんだけど」
「まあ気にしなくていいさ。じゃ、また明日な? おやすみ」
カルメは言うだけ言うと、ふらふらと手を振ってさっさとカペラを返そうとします。
なんだか釈然としない気持ちを抱えたカペラでしたが、もう夜も更けてきています。早く家に帰って温かいスープを飲んで、今日一日頑張った馬たちへご馳走を食べさせてあげたい。そう思った彼女はまた輓具をぎゅっと引き締めました。ぎゅしっ、ぎゅしっと馬の蹄鉄が雪を踏みしめる音を聞きながら、カペラは帰路につきました。
◆◇◆
「えーっと、『聖夜おめでとうございます。奥さん共々元気でいてくださいね』——これはプラシオさん宛、『聖夜おめでとう。ていうかどうせ今夜僕の家に来るのに、わざわざ郵送で送る必要あんのか?』——これはイオニアくん宛……」
「ふぁぁ……いちいち読み上げるなよ、恥ずかしいだろ」
「ごめんって。宛先の確認に必要なことだからさ」
聖夜当日の朝。カペラは昨夜の約束通り、探偵所までカルメのグリーティングカードを回収しにきました。彼はカードを夜なべして仕上げたのか、大きなあくびをしています。
メッセージまでくまなく確認しているのは勿論宛先に間違いがないかチェックする目的もありますが、そこにちょっとした悪戯心がないとも言っていません。カペラは一枚一枚じっくりとカードを確認していきます。
ぺらぺらとカードを捲っていたカペラの手は、ある時ふっと止まりました。
「ねえ、このカードだけ送り主の名前が盛大に間違ってるわよ。あんたの名前の綴りって『Carme Lund』でしょ? 何をどうしたら『H.G』になるのよ」
彼女が指差した箇所には、確かにカルメの字で『H.G』と書かれています。他のカードにはきちんと彼のフルネームが書かれているのに、このカードだけ、です。
「ああ、それは『H.G』に頼まれた分さ。いっつもお世話になってるお前にグリーティングカードをやりたいってな」
「え、あたし?」
宛名の部分を見て見ると、これまたカルメの字で『Capella Vorderman』と書かれています。『いつもねぎらってくれてありがとう。君のおかげでいつも楽しく、充実した日々を過ごせています』——カードにはこのようなメッセージが綴られていました。
「うーん……でもあたし、H.Gなんて人に心当たりはないけどなあ」
「そりゃそうだろうな。人じゃねーもん」
カペラが首を捻っていると、カルメはあっけらかんとそう言い放ちました。
「えっ? ちょっとその話詳しく……!」
「おおっと、あくまであいつらは匿名って体で送ってきてるんだ、これ以上僕から何か言うのは無粋だな」
カペラが追究しようとしても、カルメは今言ったこと以外のことを教えてはくれません。
なおも引き下がろうとしないカペラでしたが、あまり探偵所に長居していては肝心の配達業務に支障をきたしてしまいます。彼女は仕方なく御者台へ戻り、馬車を発進させました。
二頭の愛馬と、『H.G』から受け取ったグリーティングカードと共に、彼女は聖夜の町中を駆け巡ります。
〈了〉