9.天啓と落とし物

 同時刻。カルメ達についてきたはいいものの特段やることもないコンレイは、ガーデンテラス内をうろうろと彷徨っていた。それなりに広いテラスには、色とりどりの花が植えられた花壇や、ケンドル王国の国章が印字された大きな吊り下げ旗、休憩用のガーデンテーブルとガーデンチェアなどが設置されている。

 カルメとイオニアの男二人は渦中の『魔王の椅子』に夢中になっているが、実のところコンレイはあまりその椅子に興味はない。いくら国宝とはいえ、椅子ひとつをそこまで念入りに調べたところで何も出てこないのではないか、というのが彼女の見解だった。では何故わざわざカルメについてきたかというと……

「ずっと建物の中にいると翼にカビが生えちゃいます。ハーピーたるもの、常に風を受け、風と共に生きるべき! です!」

 誰に言うともなくそう呟くと、翼を大きく広げてばさりと羽ばたいた。みるみるうちに高度を上げた彼女は、ガーデンテラスの周りをぐるぐると飛行。しばらく飛んで満足したのち、テラスの手すり沿いにびゅうんと風を起こしながら着地した。そばにある花壇の花から雨粒が舞い上がり、空中できらきらと瞬く。と同時に、ぺらぺらとした白い物体が舞い上がり、空中で左右に揺れながらゆっくりと落ちてきた。

「ふー、すっきりした。……なんでしょう、これ」

 コンレイは翼の先端で器用にその物体を掴む。物体の正体は白い紙であった。防水魔法がかけられているのか、印字されているインクは全く滲んでいない。彼女は紙に書かれている指示通りに声出しをした。

「ソーーミレー、ミーファミッドソーー。ソーーミレー、ミーファミッドソーー、ラーラシドーシラソーーミドー、ソソファファミレーッドドーー。……知らない曲ですね」

 コンレイが持つ紙に書かれているのは、五本の線の上を縦横無尽に駆け巡るおたまじゃくし達。要するに楽譜である。歌詞や曲名は記載されておらず、ただ五線譜が書かれているだけだ。
 もしかして、これは犯人の落とし物なのだろうか。そうだとすれば大発見だ。早速カルメへ見せに行こうとしたコンレイだったが、どうやらカルメもイオニアも魔王の椅子にご執心の様子。邪魔するのは忍びないと思い、まだテラスに残っていたジャヌレに声を掛けた。

「館長さん、この楽譜って博物館のものじゃないですよね? さっきここの花壇で見つけたんです」
「楽譜ですか? この博物館にはそのような収蔵品はありませんし、お客様のお忘れ物でもないと思いますぞ。ここでは毎日警備員が見回りしていて、万が一お忘れ物があった場合は速やかに回収して警備室に保管いたしますゆえ」
 ジャヌレはコンレイが見せた楽譜を覗き込むも、心当たりはないようだ。

 確かイームズによる死体発見譚の中には、死体を見つける前の見回りで落とし物を見つけたという話は無かったはず。次にテラスへ人が来るタイミングといえば、犯人がライトを殺したその時に他ならないだろう。イームズとローエが死体を見つけた時にどちらかが私物の楽譜を落とした、ということも考えにくい。だって、普通どちらか一方が物を落としてももう一方が気付くはずだ。

 やはり犯人が現場へ落としていったものなのでは? と彼女は半ば確信を持ちつつ、楽譜を自身の肩掛け鞄にそっと仕舞った。

「そうですか。いえ、それならいいんです。後でカルメくんにも見せてみますね」

 その後、コンレイはジャヌレと当たり障りのない雑談をしつつカルメ達を待つことに。そう時間の経たないうちにイオニアもやってきて会話に加わったものの、カルメは依然として椅子と二人っきりの時間を楽しんでいるようだ。
 イオニアは二、三言会話を交わすと、やがて思い出したように声を上げる。

「そういえば、もうすぐお昼時だよね? 俺少しお腹空いちゃったなあ」
「今日の朝ごはんはあんまりきちんと食べられませんでしたからね。まだ正午には早いですが、お昼にしちゃってもいいかもしれません」
「ジャヌレさん、ここら辺にご飯を食べられるお店ってありませんか?」
「おお、それなら博物館の敷地内にレストランがございますよ」
「ほんとですか? 丁度良かった、そこまで案内してもらえますか!」

 イオニアはジャヌレの返答を聞くや否や食い気味に答えた。彼、こちらに来てからどうにも様子がおかしいような。コンレイは違和感を覚えたが、ジャヌレはイオニアと付き合いが短いのもあり気付いていないようだ。

「勿論です。ではカルメさんもお呼びしてきましょうか」
「あ、カル兄はほっといていいですよ! えーっと……あの人、朝ごはんを沢山食べちゃったからお昼ごはんは要らないって言ってたので!」
「おや、そうなのですか。ではお二人をご案内致しましょう」

 ジャヌレに続き、テラスを後にするイオニア達。コンレイはイオニアにこそっと耳打ちした。

「カルメくんって今日の朝ごはん、バナナ一本しか食べてませんでしたよね。あの子にとってはあれで沢山なんですか?」
「いや、全然足りないと思う」
「やっぱり! じゃあなんであんな嘘ついたんです?」
 悪びれもせず言い放つイオニアに小声で詰め寄るコンレイ。幸い遠くを歩くジャヌレには聞こえていないようだ。

「仕方ないじゃん、他にいい案が思いつかなかったんだもん」
「案ってなんですか! カルメくんを飢え死にさせる案ですかぁ!?」
「ちっ違うよ! 俺がそんなことすると思う!?」
「……確かに。今のところ、イオニアくんがカルメくんを餓死させる理由なんてないですもんね」
「まるで理由があったらやるみたいな言い方はやめてくれないかなあ!」
「理由……そうだ! 理由ですよ!」

 イオニアによる全身全霊のつっこみをものともせず、コンレイはぐるりと話題を転換。意味のわからない様子の彼に向かって、いきなり朗々と話し始めた。

「この事件を解くためには椅子を調べることなんかじゃなくて、犯人が椅子の窃盗に加えて『どうして』ライトさんを殺したのかってことが重要になると思いません?」
「へえ? 急にそんなこと言い出してどうしたの」
「びびっと天啓が、ついでにふわっと犯人の落し物が降りてきたんですよ。とにかく、ちょっとお昼ごはんを食べながらゆっくり話しましょう」

 コンレイが翼の先で指し示したのは、博物館の敷地内に建つレストランである。彼らがなんやかんやと話をしている間にすっかり到着していたようだ。ジャヌレに礼を言って別れたイオニア達は、レストランの中へと入っていった。